トップページへ
日刊サイゾー|エンタメ・お笑い・ドラマ・社会の最新ニュース
  • facebook
  • x
  • feed
日刊サイゾー トップ > インタビュー  > 前田日明と「リングス」の曳航(2)
リングス旗揚げ30周年記念 短期集中連載『天涯の標』

【格闘王・前田日明と「リングス」の曳航 Vol.2】マイナスからの船出、選手を探す航海へ

誰も手をつけていないオランダやロシア、グルジアに狙いをつけた

 当時、フルコンタクト空手の世界で正道会館は「常勝軍団」と謳われていた。この年の6月4日にはUSA大山空手(国際大山空手道連盟)との対抗戦を実現させている。

 1990年6月30日には全日本キックボクシング連盟の日本武道館大会に佐竹が出場。前田と激闘を繰り広げたキックボクサー、ドン・中矢・ニールセンを頭突きまで繰り出して破っている。

 佐竹や角田信朗のリングスマット登場は大きな話題を呼んだ。UWF解散以降、孤独の影が色濃かった前田に明るさがようやく戻ったのはこのころからである。

 〈あのころ、佐竹とはしょっちゅう一緒にいました。私生活でもよく一緒に飲みに行ったり、飯食いに行ったりしていた。グローブ空手日本一を決める「第1回トーワ杯カラテトーナメント選手権大会」(1992年)に出たときには応援に行きました。〉

 ロシア、グルジアとの提携は新日本プロレスがヒントになっている。新生UWF時代の1989年、前田は新日の東京ドーム大会を観戦した。新日はソ連国家スポーツ委員会と提携。同年2月から同国の選手をリングに上げていた。ドーム大会のメインイベントはアントニオ猪木対ショータ・チョチョシビリの異種格闘技戦。燃える闘魂は格闘技戦で初めての敗北を喫した。

 〈「ああ、ロシアの選手を連れてくることもできるんだ」と思いました。UWFの分裂で選手の取り合いみたいなことも起きていたんで。誰も手をつけていないオランダやロシア、グルジアに狙いをつけていったんです。

 オランダの選手はドールマンやジョン・ブルミン(オランダ格闘技界の祖、極真武道会会長)のルートでブッキングしていました。ドールマンがあらかじめ選んだ上で選手のインフォメーションやビデオを毎月送ってくれる。その中から選べばよかった。

 ロシアの場合はそうしたスポーツマネージメントの観念は全くない。皆無です。一からいろんなことを教えないといけなかった。「プロフェッショナルとは何か」「アマチュアとはどう違うのか」とかいうレベルです。「試合をしたらギャランティーが発生して」といったところから教えました。

 91年、初めてのロシア視察は堀米泰文さんと一緒でした。当時、彼は世界サンボ連盟副理事長で前理事長。連盟の中で彼の影響力は大変なものでした。特にロシア国内の人脈が非常に厚かった。「選手を探しに行くんだったら、何でも協力するよ」と言ってくれました。

 そのころ、ペレストロイカ(1980年代後半からソ連で進んだ政治改革)でソ連の国家スポーツ省がなくなったんです。国家スポーツ省とは、ソ連国内の選手にオリンピックで金メダルを取らせるための役所。国内のスポーツ・体育事業の管理から育成、大会運営を含め全て押さえていた。

 堀米さんの親友として紹介されたのがウラジミール・パコージン(後のリングス・ロシア代表)。国家スポーツ省で最後の事務次官を務めた人物です。ちょうど彼は失業していた。まさに絶好のタイミングで。「使ってやってくれないか」って選手を紹介してくれました。

 パコージンが選手を集めてくれた。「どうやって選んだらいいんかな?」と思いました。まず、競技ごとに分けて。「いろんな動きを見たいから」ってやらせていた。

 そしたら、堀米さんが軽く言うんです。「スパーリングしてみたら?」って(笑)。内心、「ええーっ」と思いました。〉

12345
ページ上部へ戻る

配給映画