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日刊サイゾー トップ > インタビュー  > 前田日明と「リングス」の曳航(2)
リングス旗揚げ30周年記念 短期集中連載『天涯の標』

【格闘王・前田日明と「リングス」の曳航 Vol.2】マイナスからの船出、選手を探す航海へ

WBAやWBCのような組織づくりを目指した

リングス草創期の前田

 前田は格闘技界に、時には世の中に向けてさえ「石」を投げ続けてきた。その度に波紋が起こる。波紋は同心円状に輪を描きながら広がっていく。複数の輪、つまりは「リングス」である。

 「リングスは『団体』ではない」

 前田はその後、折に触れて言明してきた。

 〈オランダやロシアでも話してきたことなんですけど、「俺はボクシングのWBA(世界ボクシング協会)やWBC(世界ボクシング評議会)のような組織を作ろうとしているんだ」と。

 日本発なんで、経営は相撲協会をお手本にする。一番力のあるところが力のないところに資金的、人的な援助をしながら、ネットワークを作り上げていく。

 各国のネットワークには、「ゆくゆくは日本でやっているのと同じような形態を敷いてもらう。独立興行での大会開催や選手育成、自国のチャンピオンシップ、ランキング制定などにも手をつけていく。大会自体も腹を据えて大きくしていって盛り上げよう。いずれ米国にも持っていけるようなもんにしたい」と話していたんです。〉

 旗揚げ戦「ASTRAL STEP 1st. SPIRIT-U」は5月11日、横浜アリーナで開催。全4試合しか組まれなかったにもかかわらず、1万1000人を動員した。先行した藤原組、Uインターの旗揚げ戦会場はいずれも後楽園ホール(収容人数2005人)である。

「一人ぼっちの船出」

 メディアは盛んに喧伝した。だが、前田はもう孤立してはいない。中島らもや小川賢太郎(ゼンショー代表取締役会長兼社長兼CEO)がいる。クリス・ドールマンをはじめ、リングス・オランダの面々も馳せ参じた。何より客席を埋めたファンたちが見守ってくれている。

 〈あのころの記憶ってないんですよね。あまりにもいろんなことがありすぎて、忙しすぎたんでしょう。考えたり、感じたりする余裕がなかった。〉

 この年、日本初の有料放送を行う民放衛星放送局として「WOWOW」が開局した。同局は新生UWFと放送契約を締結。解散後は前田の知名度に注目し、リングスと契約を結んだ。

 〈WOWOWの放映に関しては一大会ごとに1000万円が支払われる契約でした。〉

 リングスのネットワークは早くも増殖を始める。1991年12月7日に東京・有明コロシアムで開始された第3戦。「ASTRAL STEP FINAL~BLAZE UP~炎上」にはリングス・ソビエト(ソ連崩壊後は「リングス・ロシア」に改称)、リングス・グルジア(現ジョージア)、正道会館から選手が参加した。

 正道会館とリングスの提携はまず、前田と佐竹雅昭の関係から始まっている。

 〈俺の周りをちょろちょろしていた田中正悟がまず佐竹と知り合ったんです。もう一つ接点があって、正道会館の田島(晴雄)会長とは、俺や田中が高校生のころから顔見知りだった。

 そのうち、田中は正道会館に出入りするようになっていました。しばらくして、何やら話があるという。

「正道会館から頼まれた」

 田中がそう言うんです。

「何をですか?」

 と尋ねると、

「『佐竹を前田の後継者にしてくれないか』っていうんだ。ああいう選手がいると、お前も楽になるから、いいじゃないか」

 と言う。俺は勢いのある選手がいればいいなと思っていたから、「いいですよ」と答えました。〉

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