『大豆田』最終話直前! ED曲のリリックが示唆するとわ子が『タッチ』主題を口ずさんだ理由を衝撃の読み解き!!
#ドラマ #HIPHOP #大豆田とわ子と三人の元夫
名作『タッチ』とリンクするスペードのエースの意味
スペードのエースは“死”を意味する不吉なカードでもある。
例えば、あだち充の名作『タッチ』の中でも、ヒロインの浅倉南がトランプ占いをした際にスペードのエースが出た後、幼なじみの上杉和也が交通事故で亡くなってしまう。なぜタッチの話を急に挟むのか。それは9話序盤、とわ子がバッティングセンターで上機嫌に歌うのは、岩崎良美の「愛がひとりぼっち」であり、タッチの第2期オープニングテーマだからだ。
“死”がないゲーム。それは、9話終盤の八作ととわ子が閉店後の「オペレッタ」にて語り合うシーンを思い起こさせる。お互いの好意を「両思いだね」と談笑しながら確認する2人。八作が「無理なのかな」と再婚への望みを覗かせると、とわ子は「今だって、ここにいる気がするんだもん」と、復縁の可能性を否定する。
つまり、八作が想いを寄せ続けていたかごめは、死してもなお、とわ子の中では生き続けているのだ。永遠に終わらない三角関係。「3人で生きていこうよ」いうとわ子はつまり、終わらせるつもりもない。両想いだけが、幸せではないのだ。
冒頭で書いた通り、筆者はテレビドラマに疎い。なので福田フクスケ氏の記事〈『大豆田とわ子』で「かごめの死」が淡々と描かれた理由〉(https://gendai.ismedia.jp/articles/-/83434)を参考にさせていただくと、『まめ夫』を書いた脚本家・坂元裕二の作品には、死者の扱い方が一貫しているという。死してもなお、その人は生きている人々の中に存在し続けているのだ。
とわ子は八作との復縁を完全に否定した。それでも、もし夫婦であり続けたならどのような人生だったのかと、2人は話し始める。あったかもしれない未来の幸せな日々。今しがた否定したばかりの世界に思いを馳せ、幸せそうに2人はその夜別れた。
このシーンからは、“満たされることだけが幸せではない”というドラマのテーマが見えてくる。
だからとわ子は、第4の夫になり得た小鳥遊を見送った。このドラマのテーマ性をDaichi Yamamotoは「僕があの時/君があの時/そんな後悔が壊したラブストーリー/Ay what’s a paradise/2人の差はもう埋まらないかも/でも交わる日は受け入れたい」と表現している。
続く「勝ち負けのないマラソン」とは「切り札のない手札で遊んでる」の言い換えだろう。この2つに共通する、終わりがないという考えは、小鳥遊が7話でとわ子に語った言葉を思わせる。「幸せな結末も悲しい結末もやり残したこともない。あるのはその人がどういう人だったかっていうことだけです」と小鳥遊がとわ子に伝えるシーンだ。
そして、「勝ち負けのない」から推測できるものが、もうひとつ。前半のリリック「負け続けてる All night long」との対比だ。これは4話で八作が早良(石橋静河)から言われた「誰もが優位に立とうとする恋愛において、一生負けてくれる人が最高の恋人」という理屈を用いたリリックである。遠い位置にある短い対比だが、一目惚れで一方的なアプローチをしてきた早良との関係から脱し、とわ子・かごめとの競い合わない関係に着地したことを、前半と後半の時間軸で描いている。
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