ヒトラーと東條英機は大戦後も生きていた!?『アフリカン・カンフー・ナチス』の舞台裏
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ドイツ・日本・ガーナの三国同盟ムービー
本来なら、B級、C級どころかZ級トホホ映画に認定されるだろう『アフリカン・カンフー・ナチス』を、味わい深いものにしているのがガーナの国民的アルコール飲料「アドンコ」。セバスチャン監督に尋ねたところ、もともとはガーナの薬用ハーブ酒だったものが、近年になってブランド化され、ガーナで大変な人気を呼んでいるらしい。アルコール度数40%の「アドンコ・ビター」を、ガーナ人はストレートで飲んじゃうそうだ。その「アドンコ」が本作のタイアップメーカーになったことから、キャストたちは劇中でもアドンコを飲みまくり、リアル「酔拳」を披露している。
酔えば酔うほどに、フィクションとリアルの壁は崩れ、ドイツ人・日本人・ガーナ人らが一緒になって映画熱にうなされながら、おかしなカンフー映画を作っているただのおかしな集団となっていく。実在したナチスドイツと違って、ピースフルなことこの上ない。日本から来たスタッフも、アドンコを飲んでいたおかげで食べ慣れない地元料理を口にしても食当たりなどせずに済んだそうだ。その代わり、撮影はいつも午後からのスタートになったそうだが。
何の説明もなく、ふいに現れるアドンコマン(アドンコの宣伝大使を務めているガーナのおじさん)も不思議な存在感を放っている。ヒトラーの世界征服計画とはまるで関係ない人物だが、ヒトラーが開催する最強格闘家トーナメントをアドンコを飲みながら見物している。ヒトラーの片腕であるゲーリング役の地元俳優がカメラマンとケンカして、現場から姿を消すという大ピンチの際には、アドンコマンがカメラの前に立つことで窮地を凌いだそうだ。さまざまなトラブルが『アフリカン・カンフー・ナチス』の撮影現場を襲ったが、アドンコとアドンコマンによって乗り切ることに成功している。
セバスチャン監督の略歴も紹介しておこう。ドイツのバイエルン地方の小さな村に生まれたセバスチャン監督は、香港の古いカンフー映画を観ながら少年時代を過ごした。高校に入ると、パンク音楽などのサブカルチャーにハマり、1999年にはパンクバンド「Horst Hitler and the Swastikas」を結成し、セバスチャン監督はヒトラーに扮し、なぜか女性の下着姿での演説スタイルで歌唱するという過激なプロモーションビデオも制作している。ライブ演奏後には、右翼集団から顔面を殴られる経験もしたそうだ。
本作の脚本を酔っ払って2日間で書き上げたというセバスチャン監督だが、ヒトラーとカンフー映画、そしてパンク精神はセバスチャン監督にとって、長年培って来た重要なモチーフであったことが分かる。
ドイツではいまだにヒトラーもナチスもタブー扱いされているが、「タブーにすることで逆に神秘的な雰囲気を生み出し、逆効果になってしまう」とセバスチャン監督は考えている。ヒトラーやナチスを描くなら、徹底的にバカバカしく、ギャグにしてしまえと。かくして、振り切った超Z級ポリティカル・アクションコメディ大作『アフリカン・カンフー・ナチス』が完成した。
ドイツ、オーストリア、スイスなどのドイツ語圏ではすでに公開され、成功を収めている。コロナ禍のためにスクリーンでの上映は少なかったものの、DVDやブルーレイの売り上げは好調で、売り切れ店が続出しているという。また、過激な内容だが、予想に反して作品完成後のトラブルはいっさい起きていないそうだ。
ちなみにセバスチャン監督のドイツにいる家族も、すでに鑑賞ずみとのこと。収容所体験を持つユダヤ人の継父に育てられた母親からは「映画製作からは引退したほうがいい」、父親からは「パート2に出演したい」と言われたそうだ。
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