【格闘王・前田日明と「リングス」の曳航 Vol.1】UWF解散、引退説、そして新団体へ
「UWFインターナショナルを発足させます」
〈「引退」っていってもね、俺には帰る場所がないんですよ。
髙田が電話で「もう、どうしようもありませんよ」って言ってきたんです。でも、そのころ髙田は船木(誠勝)や宮戸を交えて「一緒にやろう」って会ってた。後から後から出てくる話を聞いて、すごくショックでした。
UWFを立て直すために、俺はいろんなことを一人でやってました。資金集めだとか、会場押さえ、人間をどうするか、事務作業をどうするか、スポンサーをどうするか。そういうことを全部一人でやってたんです。
「道場は見られないから、頼むな」
髙田にそう言ったら、
「道場は自分が見ますから、安心してやってください」
って言ってくれた。信用したんです。
蓋を開けてみたら、「解散」って言ってから一月もせんうちに、その髙田が「UWFインターナショナルを発足させます」「会社トップに就きました」みたいなことになって。俺、びっくりしたんです。
「何でそうなるの?」
「いつからそういう動きしてたの?」
「じゃあ、あの言葉は何だったの?」
考えれば考えるほど、「?」で頭の中がいっぱいになった。
自分がいる場所を帰る場所にしようと思って頑張った。でも、他の人間にとっては俺なんかただの競争相手なんです。それが理解できなかった。当時の俺にはね。〉
失意のどん底にあった前田に1通のファクスが届く。親交のあった作家・中島らもからだった。
「君には挫折する資格がない。日本中の若者が君を見ている。君が引退しようとか、芸能界に入ろうとか言って、頓挫してしまったら、若い子たちが人間が執念を燃やしても、所詮こうなるのかと失望してしまう。だから、頓挫する資格はない」
火が吹き出すほど熱い言葉で綴られた檄文だった。ミスター・ヒトとの共著『クマと闘ったヒト』でプロレスの仕組みに言及した中島は対談集『舌先の格闘技』で前田と一戦交えている。稀代の書き手による激励も絶望の只中にある前田には響かなかった。
〈「ありがたいな」と思った。「何かしなきゃ」とは思いましたけど。それに対してどうしよう、こうしようっていう気力さえ湧いてこなかったんです、そのときは。ただ、「どうしたらいいんかな?」って。考えてるだけでした。〉
前田の胸にある埋み火を燃え上がらせたのは好敵手が上げた狼煙だった。クリス・ドールマン。新生UWFに参戦したオランダの柔道家、サンビストである。現地で1980年代からいち早くフリーファイトの大会を主催。後にリングス・オランダに集結するファイターたちの兄貴分的存在だった。
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