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日刊サイゾー トップ > インタビュー  > 前田日明と「リングス」の曳航(1)
リングス旗揚げ30周年記念 短期集中連載『天涯の標』

【格闘王・前田日明と「リングス」の曳航 Vol.1】UWF解散、引退説、そして新団体へ

「お前は先に行っていろ。俺も後から行くから」

【格闘王・前田日明とリングスの曳航 Vol.1】UWF解散、引退説、そして新団体への画像2
アントニオ猪木vsモハメッド・アリの一戦(Getty Imagesより)

 ユニバーサルには目的があった。猪木は新日を中継するテレビ朝日に加え、フジテレビからも放映権料を得ようと画策。フジ中継用に作られたのがユニバーサルだった。

 「お前は先に行っていろ。俺も後から行くから」

 猪木は前田にそう命じたという。だが、師は来なかった。

 ユニバーサルは当初予定された路線から大きく外れていく。猪木や新日本プロレスが希求してきた「強さ」のお株を奪う方向を模索し始めた。藤原喜明や髙田延彦、そして佐山聡。かつて世田谷区・野毛の新日プロ道場でスパーリングに明け暮れた仲間たちが結集する。

 1984年7月23日と24日に後楽園ホールで開催した興行「UWF無限大記念日」で前田らはキックと関節技を主体とした闘いを披露。「UWF」と呼ばれるようになった先鋭集団は猪木が志向したはずの格闘技路線を突き進んでいく。やがて後楽園ホールは「聖地」と称され、「信者」を自認するファンが詰めかけるようになった。

 だが、テレビ中継がなく、有名選手や人気外国人も登場しない団体が長続きするはずもない。1985年末、UWFは新日と業務提携。古巣に復帰を果たす。佐山の姿はそこにはなかった。

 1986年に始まったUWFと新日プロ勢の闘いはリングに独特の緊張感をもたらす。前田が定義する「勝敗を度外視した主導権の奪い合い」としてのプロレス。「降りかかる火の粉は払う」闘いである。予定調和など介在しない試合が間違いなくそこにはあった。

 1987年6月、長州力率いるリキプロダクション所属選手が新日に復帰。新日正規軍とUWF、リキプロの三つ巴で闘い模様は複雑さを増した。

 そして11月19日、前田による「長州力顔面襲撃事件」が勃発。前田のハイキックで長州のまぶたは腫れ上がった。タッグマッチのカットプレーとしては一線を超えた一撃には歴史を動かす威力があった。

 リングを覆った不穏な空気はその後も新日プロにつきまとう。前田は翌年2月、「プロレス道に悖る」を理由に「解雇」。2カ月後、何とか巻き返しを図り、「新生UWF」の旗揚げに漕ぎ着けた。

 UWFは最先端のユースカルチャーとして社会現象的な人気を呼んだ。チケットは短時間で完売。試合を収録したVHSのビデオカセットは飛ぶように売れた。

 業績好調の陰で団体内には歪な構図が生まれる。経理への疑問に端を発した前田とフロントの確執。やがてそれは抜き差しならないものへと育っていった。

 1991年1月7日、前田の自宅に選手が参集。ここで前田は全員に「俺を信用できるか?」と問うた。

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