『大豆田』ED、セカンドヴァースで解き明かされる物語の意味―とわ子はなぜ離婚と結婚を続けるのか
#大豆田とわ子と三人の元夫 #エンディング曲 #Presence
小鳥遊との会話とリンクするリリックと解釈
「約束は永遠の永遠」。これはBIMが「Presence II」でもライムしていたように、「とわ子のとわは永遠の永遠(とわ)?」だとしたら、約束はとわ子にとって永遠かのように続いていることを指しているとも考えられる。では、約束とは何か。今週の8話に、こんなやり取りがあった。
終盤で、とわ子が小鳥遊を自宅に招いたシーン。小鳥遊から社長を続ける理由を問われ、かごめとの約束と答えてしまうとわ子。小鳥遊がそれを掘り下げようとすると、とわ子は急いで話を切り上げ、答えたがらない。なぜだろうか。それは今しがた自分が否定した小鳥遊の生き方は自分にも通じると、答えた後に急に気がついたからだろう。小鳥遊は社長への恩義を背負いすぎて自分の幸せを犠牲にしていた。ではとわ子は、かごめの言葉を背負いすぎて社長をしているのか。社長である限り、とわ子は幸せを追い求められないのか。ここはストーリーの着地として、気になる点のひとつだ。
また、小鳥遊はとわ子に「やはり結婚生活はよくないものなのか」とも問う。とわ子はひとりでも生きていけると踏まえた上で、「何もしてないのに、明るくて音楽が鳴っててあたたかいっていうのに憧れます」と、独特な表現を絞り出すように答える。これがNENEによって「今思えば2人でいたの贅沢」というストレートでシンプルなリリックに圧縮されている。
続く「網戸をFix 繰り返す生活」とは、もちろん、とわ子の家の外れやすい網戸を踏まえているのだが、それだけならば「Fix」を「繰り返」さないはずだ。
1話でとわ子は、網戸が外れるたびに結婚生活を恋しく思うと言う。つまり、『まめ夫』において、網戸を直す作業とは結婚生活のメタファーである。そして、3人の元夫だけでなく、他の男性もとわ子に結婚を迫っては実らずに終わるばかりの様子を「繰り返す生活」と短く言い表しているのだろう。
こうしてみると、先週のBIMのラップは仕掛けを解くような楽しさがあるが、NENEは直感的な表現で言葉を極限まで削いでおり、聴く者が肉付けをして解釈を広げることができる。同じドラマのエンディング曲でも、ラッパーにはそれぞれのスタイルがあることを語る上で、教材のような好例だ。
続く「糸は切れても切れない絆」。糸は前半のヴァースで「糸って赤だけじゃないみたい/青も黄色もあって絡み合う」の部分でも出てくる。これは5話で元夫がそれぞれ赤/青/黄色の服を着て同時に現れたシーンから、糸は3人の元夫の暗喩であるとわかる。そして「どっかでバッタリ会ったりするじゃん」とは先の読めなさを言い表しつつも、8話で八作(松田龍平)と小鳥遊が道端で偶然ぶつかるシーンも想起させる。
そして、鹿太郎のラップパートだ。ゆるふわよろしく、Ryugo Ishidaのようにオートチューンを使ったラップで、前半の熱くリズミカルなフロウ(歌い方)とは別人のようにメロウで対照的。「Are you happy/それが俺の幸/可愛く聞こえるお前のしゃっくり」の、しゃっくりとは言わずもがな、劇中でとわ子が鹿太郎との家族とうまく行かないときに出るサイン。
鹿太郎との結婚生活が続かなかった理由は、いわゆる嫁姑問題であったが、それを解決できなかった鹿太郎は、とわ子の幸せを尊重して離婚を受け入れた。普段、身の回りに対しては極端に器の小さい鹿太郎。しかし、とわ子に対しては見返りのない愛を今も注ぎ続けている。
対して突き返すように、「2度あることって3度あるんでしょ?/男と女違う生き物でしょ?」とラップするNENE。確かに、鹿太郎との離婚でバツ2となったとわ子は、3度目の離婚も経験した。それよりも特筆すべきは「男と女違う生き物でしょ」のほうだ。当たり前のようでいて、これをハッキリと言うことは、実は非常に難しい。
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