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日刊サイゾー トップ > 連載・コラム  > 若林正恭と田村淳の本音のような言葉

若林正恭と田村淳、“骨組み”を組み立て続ける2人の本音のような言葉

田村淳「こんな話、初めてなんじゃないかな」

ゲストの本音のようなものが語られる『あちこちオードリー』。その中で、若林が秀逸なインタビュアーであることに異論はないと思う。ゲストへの事前の打ち合わせやアンケートがないという同番組で、彼はその場のトークの流れに合わせながら、さまざまな角度からゲストに質問を投げかけていく。そして、他ではあまり聞けない話をゲストから引き出していく。

 もちろん、そこでゲストが話しているのが本音なのか、本音の装いをした建前なのかはわからない。いずれにしても、稀有な語りが引き出されているという一点を見ても、彼がインタビュアーとして卓抜していることに変わりはないだろう。少なくとも、テレビショーのインタビュアーとしては。

 そして、ゲストから本音のような話を引き出す彼の技術のひとつに、これまで見てきたような巧みな比喩があるはずだ。場合によってはゲストのトークに出てきた印象的なワードを借りながら用いられる比喩。その言葉の戯れに、やはり言葉の手練れであるゲストのトークがノッてくるという面があるように思う。

 またそれは、本音のようなものをさらけ出して語り合うという、人によってはちょっと気恥ずかしい場面で、麻酔のように機能しているのではないかとも感じる。その言葉の戯れが、本音のようなものを紛れ込ませる際の煙幕にもなっていたりもするはずだ。

 また、一連のトークの中で、淳がこんなことを言う場面があった。

「こんな話、初めてなんじゃないかな。近しい人にも話してないもんね。でも、いま若林なら共鳴してくれそうだっていうので、俺もちょっとずつ扉開いて。この人にだったら話しても理解してくれそうっていう」

 若林の質問には、それこそ言葉遊びの中に紛れ込ませるようにして、しばしば彼自身の悩みや葛藤が滲んでいるように見える。「苦しいですよね?」「孤独じゃなかったですか?」といった問いかけには、彼自身が確かめたい何かがあるように聞こえてしまう。他者への問いかけと自己への問いかけがないまぜになったようなそんな若林の言葉に、ゲストは同じような問いを抱える者として「共鳴」し、本音のようなものを語ってしまうのかもしれない。

――さて、芸人MCの葛藤をめぐる2人のトークは、ひとまずここで一区切り。話は別の話題へと切り替わった。ただ、「こんな話、初めてなんじゃないかな」と若林への「共鳴」を語った淳は、もちろん一連のトークを“いい話”で終わらせない。彼はこのトークの最後に、次のようなオチをつけた。

「だって、俺は品川庄司の庄司と仲がいいけど、こんな話したって、あいつ響きゃしないんだから。『マジっすか』しか言わないよ」

 なるほど、『あちこちオードリー』はゲストが本音のようなものを語る「裸のトークバラエティ」である。しかし、だからといってそこで飛び交う本音のような言葉は、服を脱いで裸になれば引き出せるというわけではないのだ。

飲用てれび(テレビウォッチャー)

関西在住のテレビウォッチャー。

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いんようてれび

最終更新:2021/09/21 11:36
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