元横綱・稀勢の里が茨城に部屋設立 「故郷に錦」でも…非現実的すぎる遠距離通勤
#稀勢の里 #日本相撲協会 #荒磯親方
元横綱が後進を育てるべく、故郷に錦を飾る──相撲界にとって喜ばしいニュースに間違いないが、巨体が自慢の力士が、果たして遠距離通勤など出来るのだろうか。
日本相撲協会は5月27日、元横綱・稀勢の里の荒磯親方が、8月1日付で田子ノ浦部屋から独立し、荒磯部屋を設立することを発表した。荒磯親方は2019年に引退し、部屋付き親方として後進の指導にあたりながら早稲田大学大学院スポーツ研究科に入学し、「新しい相撲部屋経営の在り方」をテーマにした修士論文を執筆。最優秀論文として表彰された。
「寡黙なイメージが強かった荒磯親方ですが、大相撲中継の解説では饒舌で、語彙も豊富。現役時代は、厳しい指導で定評があった鳴戸親方(元横綱・隆の里)の教えを守り、笑顔を見せたり、ペラペラと話したりすることを避けていたようです。『苦手だった力士は?』『あの時、どんなことを考えていたか?』といった、答えにくいような質問にもしっかり答えてくれますし、技術面の説明も非常にわかりやすく、相撲ファンの評判は最高です」(週刊誌の相撲担当記者)
相撲界は長らく外国出身力士が席巻しており、稀勢の里の横綱昇進は、日本出身力士としては若乃花以来19年ぶりだった。横綱時代はケガに泣いたが、人気の高さは圧倒的。今回の独立は、まさに“満を持して”といった形だが、問題はその場所だ。荒磯親方は茨城出身で、横綱昇進時には大フィーバーが起きたのは記憶に新しいが、新たな船出の場所として選んだのは故郷の茨城だった。
「荒磯親方の頭の中には、『土俵は2面』『ビデオカメラでの動作分析』『ミーティングルームやおみやげコーナーの設置』など、これまで角界にはなかった新しいタイプの相撲部屋を作りたいという構想があり、それを叶えるためには広い場所が必要。地元での人気は絶対的で、茨城に部屋を構えることになったようです。
ただ、前途は多難です。いくら施設が充実していても、周囲に他の部屋がないので、稽古の相手は自分の部屋の力士だけ。師匠の鳴戸親方は出稽古を好まないタイプで、荒磯親方もそれを踏襲しましたが、これには眉をひそめるOBも多かった。とりあえずは親方が胸を貸すのでしょうが、遠からず弊害が出てくるでしょう。
そして最大の問題は通勤です。十両以下の力士は公共交通機関で移動しますが、部屋の最寄り駅となるJRひたち野うしく駅(常磐線)から両国までは軽く1時間以上かかり、乗り換えも2回。簡単に座れるような路線でもありません。番付によって取り組みの時間が全然違うので、一斉にバスで送り迎えするようなことも出来ません。
1990年代には山梨県に部屋を構えた例もありますが、あまりに遠すぎるため4年ほどで撤退。2018年に埼玉県所沢市に設立された二子山部屋も3年で都内に移りました。恐らく荒磯親方も長く茨城にいるつもりはなく、ある程度大所帯になり、弟子の番付が上がってきたら都内に移るつもりでしょうが、そもそも立地のせいで弟子が集まらない可能性もある。なかなかリスキーな挑戦です」(相撲ライター)
所属力士が土俵に上る前にクタクタにならないことを祈るばかりだ。
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