『アメトーーク!』10年が経ち、司会が1人減っても…フジモンへの「おそれ」は失せはしない
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三芳総長(松重豊)「問題には正しい名をつけなければ、それを克服することはできない」
「必ずや名を正す」
孔子の『論語』の一節が、あるドラマで引用された。
29日の最終回を迎えたドラマ『今ここにある危機とぼくの好感度について』(NHK総合)。全5回と話数としては少ないものの、風刺を交えた社会派コメディとして強い印象を残したドラマだった(以下、ネタバレあり)。
舞台は架空の名門国立大学。テレビ局のアナウンサー出身の神崎真(松坂桃李)は、学生時代の恩師であり大学総長を務めている三芳(松重豊)からの指名を受け、同大学の広報担当者に転身する。アナウンサーとしての神崎は、「極力意味のあることは言わない」というスタンスを貫いてきた。意味のあることを言ってしまうと、どこに差し障り、問題になるかわからないからだ。中身のない話と笑顔で「好感度」を維持すること。それが彼の行動原理であった。
しかし、大学広報に転職した彼を待っていたのは、論文不正やネット炎上など次々と降りかかる難題だった。神崎は広報担当として、事なかれ主義の大学理事、癖のある教師、「正しいこと」を嫌う広報課の上司、「正しいこと」を追求する新聞部の学生、そして電話やネットでクレームを寄せる世間の間で振り回されていく。複雑なことが嫌いで、世界に単純であってほしかった。だからこそ複雑なことを受け流し、意味のある発言を避けてきた。そんな彼は、世界の単純ではない側面に少しずつ向き合い始めるのだった――。
というような物語の最終回。そこで描かれたのは、第4話で持ち上がった蚊の流出問題の顛末だ。ある時期から、大学の周辺で発生し始めていた虫刺されによる謎の健康被害。その原因と目される蚊の主たる生息地域は、国と大学の威信がかかったイベント「次世代科学技術博覧会」の会場だった。しかもその蚊は、大学の研究室から流出した外来種が現地の蚊と交配して生まれたものだということが徐々にわかりはじめる。
理事の面々は、すでに巨額の投資をしている博覧会の開催を危うくする流出の事実を、「あってはならないことだから存在しない」という理由で隠蔽しようとする。十分なエビデンスがない、証拠不十分な憶測だとして退けようとする。
しかし、流出の確かな証拠を手にしてしまった神崎。これを大学に報告すべきか否か。悩む神崎は「証拠を手に入れたいと思いますか?」と三芳総長に問う。「うん、思う」と即答する総長。彼は、『論語』の「必ずや名を正す」という一節を自身の解釈を付して引用しながら、かつての教え子に語った。
「問題には正しい名をつけなければ、それを克服することはできない。蚊の流出が真実なら、どんなにつらくても、それを証拠不十分と言い換えてはならないんだよ。私は学者だ。誇りを持って、孔子の教えに従うまでだ」
総長は反対する理事たちを押し切り、マスコミに事実を公表した。その際、理事たちを前にした総長がまず行ったのは何か。それは、自分たちに正しい名前を与えることだった。「我々は腐っている」と明言することだった。
「みなさんもうお気づきでしょう。我々は組織として、腐敗しきっています。不都合な事実を隠蔽し、虚偽でその場をしのぎ、それを黙認し合う。何より深刻なのは、そんなことを繰り返すうちに、我々はお互いを信じ合うことも、敬い合うこともできなくなっていることです。お互いに信頼も敬意も枯れ果てたような組織に、熾烈な競争を生き残っていく力などありません。もし、本当にそれを望むなら、我々は生まれ変わるしかない。どんなに深い傷を負うとしても、真の現実に立ち向かう力、そしてそれを乗り越える力。そういう本当の力を一から培っていかなければならない。たった今から。おそらく、長く厳しい戦いになる。これはその第一歩です」
物語の結末は必ずしもスッキリとしたものではない。事実の公表はあくまでも「第一歩」であり、そこから先の展開はあまり描かれない。総長が大きな権力を行使して問題を解決する結末は、総長の独裁的な大学運営の危険性という第3話で示された懸念が残り続けることを意味するだろう。
また、三芳は総長として留任し、そしてその総長は、さまざまな場面で自身に敵対してきた須田(國村隼)を理事に残した。なぜか。その理解し難い顛末を前に、主人公の神崎はやはり、世界が簡単ではないことに頭を悩ませるのだった。流出問題についてのニュースを「問題は、そう単純なものではないんです」と単純な紋切り型のコメントで締める、テレビのコメンテーター(大学教授)の声を聞きながら。
さて、このドラマ、現代日本のさまざまな場面を連想させる風刺が随所に散りばめられており、第4~5話で言えば、コロナ禍で開催されようとしている東京オリンピック・パラリンピックをめぐる状況が重ねられるだろう。あるいは、大学の理事や広報課の一連のやり取りは、言葉の言い換えで問題をうやむやなものにし、問題を中途半端に残し続けることで人びとをうんざりさせ、現状維持を多くの人びとに選択あるいは黙認させるという近年繰り返されてきた政治状況を、苦笑いとともに思い起こすことができるかもしれない。「必ずや名を正す」というか、「必ずや名を曲げる」ことを繰り返してきた政治の光景を。
ただ、物語の中で松重豊が演じる三芳総長は、「我々は腐っている」と言った。私たちもまた、自分の主義主張とは逆側に位置すると見なされる陣営に対してというよりも、「我々」に正しい名前を与えることがまずは必要なのかもしれない。問題は、そう単純なものではないにしても。
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