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『アメトーーク!』10年が経ち、司会が1人減っても…フジモンへの「おそれ」は失せはしない

『アメトーーク!』10年が経ち、司会が1人減っても…フジモンへの「おそれ」は失せはしないの画像1
『アメトーーク!』(テレビ朝日系)Twitter(@ame__talk)より

 テレビウォッチャーの飲用てれびさんが、先週(5月23~29日)に見たテレビの気になる発言をピックアップします。

吉住「こんな回、プレゼンしなきゃよかったです」

「バラの花を別の名前で呼んでみても、甘い香りは失せはしない」

 シェイクスピアの戯曲『ロミオとジュリエット』の中の、こんな有名なセリフを思い出した。

 27日の『アメトーーク!』(テレビ朝日系)のテーマは「生きづらい芸人」。芸人として、あるいは現代日本に生きる人間として、何らかの「生きづらさ」を抱える芸人たちが己のエピソードを笑いとともに語っていた。特に印象的で象徴的だと思ったのは、次のやり取りだ。

「中学生ぐらいの自分が見た時に、今のパンサー・向井を絶対好きじゃないと思うんですよ」

 お笑いが大好きで芸人になったというパンサーの向井慧。彼は「60点の芸人」でしかない今の自分を、中学生のころの自分は軽蔑するだろうと語った。

 そんな向井を周囲はフォローする。「60点から80点だって」とマヂカルラブリーの野田クリスタル。「もっとあるよ。100点もあるよ」と三四郎の小宮浩信。しかし、周囲のフォローに向井は「これも落ち込むんですよ。野田さんの中で最高80点か、って眠れなくなっちゃうんですよ」とさらに負のスパイラルに陥っていく。

 負のスパイラルは周囲に波及する。向井の反応を受けて、野田は「そんなこと言われて俺もヘコむんすよ。なんであんたこと言っちゃったんだろうって」。小宮も「僕も『100点もあるよ』って言ったのが無しになってるのもヘコみますよ」と、自分の言葉がトークの流れの中で無かったものとしてスルーされている状況に落ち込み始める。連鎖し始め終わらない負のやり取り。そこに、今回の企画の発起人である吉住が声をあげピリオドを打つ。

「こんな回、プレゼンしなきゃよかったです」

 ひとつの音叉(おんさ)を叩くと、同じ音の高さの別の音叉も鳴り始める。それと同じように、似たような「生きづらさ」を抱えた芸人たちが共鳴し、「生きづらさ」を反響させていく。そんなやり取りが一種の“あるある”の側面を帯びながら、観る者とも共鳴して笑いを誘った。

 にしても、である。今回の番組では、「生きづらい芸人」たちが番組収録前の楽屋あいさつをどう切り抜けているかを語り合うコーナーもあったのだけれど、そこで注意すべき人物として度々名前が挙がったのがFUJIWARAの藤本敏史だった。どんな順番で楽屋を回るかというシミュレーションで、彼は後輩たちから後回しにされ、なんとかやり過ごされようとしていた。

『アメトーーク!』では2009年に「人見知り芸人」が放送されていた。当時出演していたのは若林正恭(オードリー)や有吉弘行、バカリズムや板倉俊之(インパルス)などだけれど、そのときにもやはり、藤本は苦手なタイプの人として言及されていた。

 それから10年以上が経った。「人見知り」から「生きづらい」へと括りの名前も変わり、メンバーも変わった。司会も1人いなくなった。にもかかわらず、ずっと変わらずコミュニケーションモンスターとして恐れられ続けているフジモン。一種のネタとしてではあれ名前が挙がり続けているフジモン。

 バラの花を別の名前で呼んでみても、甘い香りは失せはしない。「人見知り」から「生きづらい」へと別の名前で呼んでみても、フジモンへの恐れは失せはしないのだ。

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