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安倍政権「アベノマスク」、菅政権「GoToトラベル」に見るコロナ対策の”無策”

最年少市長に降りかかった新聞記者との「ただならぬ関係」と田村正和の「神話」

 全国最年少市長の内藤佐和子徳島市長と、地元徳島新聞の男性記者との「ただならぬ関係」という、少し前の新潮の記事は、記者と取材対象者との距離の問題を提起した。

 ただこの2人の場合、濃厚接触の疑いが濃厚だから、距離も何もあったものではないのだが。

 今週の新潮は、内藤市長はバツイチだが、この男性記者にはれっきとした妻がいたと報じている。徳島新聞はこの事実を知って、どう動くのであろう。

 さらに新潮によれば、内藤市長が4月19日、政府の「男女共同参画会議」の有識者議員に任命されたというのである。

 不倫はたしかに男女が参画しなければできないのだから、彼女がふさわしくないとはいわない。会議で自分の不倫体験を話して、有識者たちに理解を深めてもらったらいいかもしれない。

 文春は先週、大関・朝乃山が深夜のキャバクラ通いをしていたと報じた。

 相撲協会の聞き取りに朝乃山は、最初は「行ってない」と否定していたが、コンプラ委の弁護士がスマホのGPSを確認するといい出して観念したという。

 本人は身から出た錆だが、朝乃山にウソをつくよう口裏合わせを持ち掛けたのは、スポニチの相撲担当記者だったと、今週の文春が報じている。

 朝乃山に接近し、タイコ持ちのようにまとわりつき、キャバクラも何もかも朝乃山にたかっていたというのである。文春がスポニチの河野俊史社長を直撃すると、「外部の弁護士も入れて、中立性と公平性を担保するための調査を真剣にやっています」と答えている。

 スポニチは紙面でも、調査をやっていて、わかり次第公表すると掲載している。日本のスポーツ界にジャーナリズムが育たないのは、取り入ろうとする記者ばかりで、距離を置いて客観的に見ることのできる記者がいないからである。特に相撲界はひどい。

 これをきっかけに、やはり記者と取材対象との距離感を考え直さなければいけない。

 さて、掛け値なしに「最後のスター」の死である。田村正和(享年77)は、大映画スターであった“バンツマ”こと阪堂妻三郎の三男として、千坪以上ある京都・嵯峨野の家で生まれた。

 父が51歳で急逝すると東京の成城へと居を移す。成城学園高校2年の時、松竹大船と専属契約を結ぶが、声が全く通らないとデビュー当初の評判は散々だったという。

 親の七光りが通じなかった田村は、25歳のとき、3歳年上で銀座の老舗テーラーの令嬢と結婚する。翌年長女を授かり、田村は、映画からテレビへと軸足を移す決断をする。

 映画では通じなかったボソボソしたしゃべりが、テレビでは個性として生きたのである。

 人気を確固たるものにしたのは1972年の『眠狂四郎』だった。文春によれば、原作者の柴田錬三郎が、やはり原作だったドラマ『岡っ引きどぶ』に、着流しで出た田村を見て、「この青年に眠狂四郎なんかいいんじゃないか」といったことがきっかけだったという。

 ニヒルな二枚目は田村の当たり役になった。だが、80年代に入ると、一転して、コミカルなドラマもやるようになる。そして1994年、日本版『刑事コロンボ』といわれた『警部補・古畑任三郎』という役に出会い、国民的スターになるのである。

 田村には数々の“神話”がある。「台本を頭に叩きこんでNGは出さない」「舞台挨拶は本物の俳優がやることではない」「ごく親しい人以外には食事姿を見せない」「裸でのラブシーンはNG。ベッドシーンもTシャツを着たまま」。田村の考える最高のラブシーンは「『風と共に去りぬ』のクラーク・ゲーブルとビビアン・リーのキス」だといっていた。「50m先のレストランへ行くにもリムジンで」「撮影中トイレに行きたくなると1時間かけて宿泊しているホテルへ戻った」「スタッフは『殿』と呼んでいた」

 新潮では、「浮気を許せない妻は失格だ」「子どもとも遊ばない」といっていたというが、実は家庭的で、娘を可愛がり、学校の行事にもよく行っていたという。夏は野球帽にサングラス、冬はコートの襟を立てて。

 3年前、柴田の長女に田村からの手紙が届いた。そこには「引退します」と書かれてあった。

 他人には私生活を見せなかった田村も、昨年以降、散歩する際、妻と一緒のことが増えたという。

 遺言だったのだろう。田村が亡くなってから1か月後に公表された。

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