
『青天を衝け』徳川慶喜と平岡円四郎の“主従愛”に渋沢栄一は嫉妬した? 史実から読みとく男たちの熱い物語
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渋沢の「平岡円四郎評」は微妙だった?

『德川慶喜公伝』の一節に、こういう部分があります。
「円四郎資性聡明にして才気煥発、舌鋒いと鋭かりしかば、人の怨を受くることも少からず」
さらに「著者(=渋沢)嘗て円四郎に侍せる時、人の来りて公事を談ずる者あり、談話の末に『追つて又御相談申さん』と(その人が)言へるに、円四郎聞き咎めて『余は判断の役なり、相談とは何事ぞ』と言へることありき」などとも書かれています。
平岡が「資性聡明」「才気煥発」と認める一方で、きつい話し方で恨まれることも多かったと渋沢は言っているんですね。また、「またご相談させていただきます」と帰ろうとする相手に対し、「私は相談なんかしない、私がするのは判断だけだ」と言い切った逸話からは、平岡がいわゆる“世間話”ができないタイプのコミュ障で、高い地位の彼に対し、周囲がひたすら気を使うしかなかったことも透けて見えてくるようです。
余談ですが、渋沢は「平岡を殺す!」と息巻く男たちを、“遊里”に連れて行って息抜きさせ、暗殺意欲を削がせたこともあったそうです。こちらは渋沢の高いコミュ力がうかがえる一方で、世慣れすぎた対応のようにも思われますが……。
渋沢は史実の平岡について、相手の人間性を見抜くことは苦手だったというコメントもしています。そんな平岡に渋沢栄一たちは雇用してもらったわけですが、それも「まだ若い男を殺させるのはかわいそうだ」とかいう理由で、なんとなく雇っただけだろう、と言いきっているくらい。農民の身分、それもほとんどテロ未遂の犯罪者のような身柄から、一橋家の家臣にまで自分を大抜擢してくれた恩人・平岡に対し、「私を観(み)て大(おおい)に用ゆべしとしたからでは無からうと思ふ」(=私という人物を見抜き、期待した末の雇用ではなかったと思われる)などとも言っていますね。
渋沢は、彼の本当の実力を見出してくれた、徳川慶喜に出会う前の通過地点が平岡円四郎という男でしたよ、と仄めかしたいようですが、主君の“愛”を分かち合うライバルとして平岡のことは見るしかなかった……と考えることもできると思うのです。
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