トップページへ
日刊サイゾー|エンタメ・お笑い・ドラマ・社会の最新ニュース
  • facebook
  • x
  • feed
日刊サイゾー トップ > エンタメ > テレビ  > 『チコちゃんに叱られる!』令和はまるで戦後!?

『チコちゃんに叱られる!』令和はまるで戦後!? 「飲食営業緊急措置令」を乗り越えた寿司の感動秘話

知られざる「寿司の絶滅危機物語」にまさかの感動

 この日2つ目のテーマは「なんで握り寿司の1人前は10個なの?」で、チコちゃんが発表した正解は「寿司絶滅の危機を乗り越えたから」だった。

 詳しく教えてくれるのは、明治元年創業の江戸前寿司店4代目店主・安井弘さんである。曰く、「戦後まもなく、日本の寿司屋は絶滅した」らしい。しかし、昭和22年に「米1合で握り寿司10貫を出す」という方法で復活を果たした。

 ここから、番組は『プロジェクトX~挑戦者たち~』(NHK)風の再現VTR、「チコジェクトX」に突入する。今回のタイトルは「すしのない国になるところだった ~握りずし復活物語~」で、ナレーション担当は言わずと知れた田口トモロヲである。

 江戸時代の屋台で生まれた握り寿司は日本の食文化として発展し、戦前、東京の寿司店は3000軒を超えた。しかし、後に寿司は絶滅の危機を迎える。太平洋戦争が始まる昭和16年、寿司店の命とも言えるお米と魚が配給制になったのだ。さらに、魚の配給は減っていき、寿司のネタとして握る食材がなくなってしまう。それでも、寿司屋は「寿司文化を途切れさせまい」と奮闘! 彼らは、魚なしで野菜主体の「戦時ちらし」を作るようになっていた。

 だが、その後も状況の悪化は止まらない。事実、安井さんの寿司店は昭和19年に1度閉店に追い込まれたそうだ。そして昭和20年、日本は終戦を迎えた。終戦後もお米や魚の配給制は続いたものの、しばらくして寿司店に衝撃的な出来事が起こる。「飲食営業緊急措置令」が発令されたのだ。限られた食料を国民に配給するため、一部許可された店舗以外の飲食店営業が禁止されたのだ。なんか、コロナ禍における飲食店への休業要請と状況が酷似しているな……。令和は、まるで戦後みたいだ。

 営業許可された店に寿司店は含まれていなかった。つまり、日本から寿司が消滅したのだ。このとき立ち上がったのは銀座の寿司店店主で、寿司組合の中心人物でもあった八木輝昌という人物。彼が目を付けたのは、国民に配給される1合の配給米である。「家庭では寿司は握らない。ならば、我々があの米を使って寿司を握ったらどうか?」とひらめいたのだ。お客さんが持ってきた配給米を職人が握り、寿司にして提供するという方法だ。寿司を販売するのではなく、お客さんの米を寿司に加工して返すという考え方。言うなれば、寿司の委託加工である。これぞ、法の抜け道! 頭のいい人がいたものだ。

「寿司職人だけに“イカ”したアイデアだった」(田口トモロヲ)

田口の声で聞くと、ただのダジャレでさえ劇的に思えてくる。

 八木たちは東京都知事・安井誠一郎に直談判に向かった。しかし、東京都からは「許可できない」「米は良くても魚はダメ」という返答が……。「配給に影響が出るので寿司屋にまで魚は回せない」が理由だった。しかし、八木は食い下がる。

「配給で規制されていないものがあるじゃないか!」(八木)

貝、海老、川魚、かんぴょう、しいたけ、卵など10種類のネタは加工賃40円があれば用意できるし、多少の儲けも出る。寿司店、そして寿司が生き残るギリギリの数が10貫だったのだ。結果、彼らの交渉は成功した。

「よく、“ひらめ”いたな」(安井都知事)

 安井都知事は寿司の委託加工に許可を出した。当時の都知事は、小池百合子よりも明らかに粋だな。とにかく、これが「1人前=10貫」とされるきっかけだ。

 昭和22年、寿司店は「持参米鮨委託加工」として営業を再開。結果、寿司を待ちに待っていたお客さんはお店に殺到した。店内は、文字通り“すし詰め”状態に! 振り返ると、今も当たり前のように寿司が食べられるのは当時の職人さんたちの奮闘のおかげなのだ。寿司文化を守っていただき、感謝しかない。

 今回の「チコジェクトX」は感動の物語だった。本家『プロジェクトX』で扱ってほしいほどの案件。まだまだ、知られざる歴史はあるものだ。寿司1人前に対する認識が確実に変わった。我々が苦境に立たされる現代において、このVTRは大きなヒントになる気がする。

寺西ジャジューカ(芸能・テレビウォッチャー)

1978年生まれ。得意分野は、芸能、音楽、格闘技、(昔の)プロレス系。『証言UWF』(宝島社)に執筆。

記事一覧

サイト:Facebook

てらにしじゃじゅーか

最終更新:2021/05/28 20:41
12
ページ上部へ戻る

配給映画