「土偶は植物のフィギュアだった」独立研究者が発表した新説のルーツと反発を招いた本当の理由
#歴史 #土偶
「何に似ているか?」を排除した研究の問題
――本の惹句に「イコノロジー×考古学」とありますが、「考古学」と言わずに竹倉さんが専攻してきた宗教学や人類学を打ち出したほうが反発は少なかったのでは?
竹倉 おっしゃる通り、「考古学じゃないですよ」という体でやれば、感情的な反発は少なかったと思います。かつて遮光器土偶が「遮光器に似ている」という仮説を立てられたものの後に否定されたことなどもあり、現在の考古学の方法論では土偶に対して「何かに似ている」という「見た目の類似」でアプローチするのは不確実でバカバカしいとされています。ですから、「ハマグリやイタボガキに似ている」という私の主張に「何を言ってるのだ」と感じるのは当然です。でも、土偶を作った人たちの立場に立てば、「何に似ているのか?」と考えるのはごく当然のことで、そうした思考を抑圧している現在の土偶研究の姿勢のほうが本当は不自然ではないかと思います。確かに、直観だけの推定では当てになりません。だからといって、研究手法として「何をかたどったものなのかを実証データを基に推定すること」まで排除してよいわけではない。そこにこれまでの土偶研究の問題点があると思います。
私は、日本の考古学について土器の形式編年研究などに関しては世界最高水準だと思っているくらいリスペクトしていますが、土偶研究に関しては方法論に難があると感じています。
私が主に参照したのは植物考古学や環境考古学とはいえ、それらも「考古学の先行研究」ですから、「考古学」と書かざるを得なかった。考古学者は「こんなの考古学じゃない」と言うかもしれませんが、確かにこの本自体は考古学の本ではありません。私はそもそも土偶=考古学という考え方すら持ち合わせていないので、そうした反応が生じるのはしょうがないのかな、とも思っています。
ちなみに、もともと土偶の研究は人類学者がしていたんですよ。本が分厚くなりすぎるがためにカットしたのですが、今回の研究手法は徹底した学説史研究に基づいているんです。
――というと?
竹倉 土偶研究はそのときどきの社会状況とリンクしながら変遷していくのですが、「今に至るまで、なぜ土偶は人の形のデフォルメであるという不自然な説が唱えられているのだろう? 自分と同じように違和感を持った人はいないのか?」と思って調べたんですね。
さかのぼると、明治10年(1877年)に東京大学が設立され、モースがアメリカからやってきて大森貝塚を発見、東大教授に就任してほかにも研究者を呼び、その後、東大の中に人類学の講座を坪井正五郎が作ります。このときの人類学は専門分化する前のごった煮の学問でした。この時代は古事記・日本書紀パラダイムで、「もといた野蛮人を平定して日本民族が日本を建国した」という歴史観ですから、土偶は先住民の姿形、生活風俗が反映していると考えられていました。
少しはしょると、昭和にかけて人類学が宗教学、民族学、民俗学、形質人類学、考古学と専門分化していきます。つまり、もともとは人類学者が土偶研究も始めたのだけれども、専門分化の過程で昭和に「土偶研究は考古学のテリトリー」となった。さらに、そこから「明治・大正の土偶研究は非科学的だった」と徹底的に批判され、実証主義に基づき「何に似ているとかいう話はしない」というスタンスがメインストリームになる。そして、土偶をひたすら分類のための指標としてのみ扱う研究や、あるいは土器分析の方法論をそのまま土偶に応用するような土偶の編年研究などが出てきます。
しかし、私は土器と土偶は違うだろうと思うんです。土偶にはモチーフがある。それなのに、考古学では「何をかたどっているのか」というモチーフの推定はやらない。土偶の形態や施紋、製作方法や年代によって土偶をひたすら分類していく。
すると、その間隙を縫って出てくるのが、宗教学や精神分析理論を使った「これは○○のシンボルで~」というような、土偶の具体的な形態から離れた「深読み」です。でも、こういう話は客観的な根拠を欠いているものが多く、学術研究とは呼べないものがほとんどです。
というわけで土偶研究は、実証主義でモチーフの推定をしない研究ラインと、実証性を欠いた抽象的・思弁的な研究ラインに分裂して現在に至っているわけです。つまり、土偶のモチーフ推定という、言うなれば一番重要な視点がすっぽり抜け落ちたままきてしまった。
――なるほど。
竹倉 例えば、大正11年(1922年)に鳥居龍蔵が提唱して以来、農耕と土偶が関係しているという「土偶=地母神説」が連綿とあり、それは私の考えもこの系譜にあるといえる非常に重要な指摘ではあるのですが、この説にしても土偶が具体的に何をかたどっているのかに関しては「妊娠像だろう」という恣意的な扱いにとどまっている。結局、実証性と形(モチーフ)に関するアプローチを両立させたものがなかったんです。
これはマズい。問いが正しく立てられていない。だから、方法論を問い直さないといけない。そういう想いが今回の本の根底にはあります。ほかにも、アブダクションという仮説検証方法や、プロトタイプ理論という集合論、あるいはパースの記号論などが私の土偶研究の根底にあります。このような方法論の説明に関しては紙幅の都合で削ってしまいましたが、今後、私のサイトにでもアップしていこうかなと考えています。
――しばらくは土偶研究に携わるかと思いますが、それ以外にどんな関心がありますか?
竹倉 私の根底には、観念に汚染されていない生の世界にアプローチしたいという感覚があります。現代人の飼い慣らされた感覚をアンインストールして、もっと生命感のあふれる新しいフレームで世界を感じてみたい。もともと土偶に興味があったというより、そういう考えから行き着いたのがたまたま土偶だったんですね。ですから、狭義の研究に限らず、そういう試みに賛同してくださる企業やアート系の方からのコラボのオファーはすでにありますし、研修や教育に携わる可能性もあるのかなと思っています。
竹倉史人(たけくら・ふみと)
人類学者。独立研究者として大学講師のほか、講演や執筆活動などを行う。武蔵野美術大学映像学科を中退後、東京大学文学部宗教学・宗教史学科卒業。2019年、東京工業大学大学院社会理工学研究科価値システム専攻博士課程満期退学。人類の普遍的心性を探求すべく世界各地の神話や儀礼を渉猟する過程で、縄文土偶の 研究に着手することになった。著書に『輪廻転生 〈私〉をつなぐ生まれ変わりの物語』(講談社現代新書/15年)など。
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