地獄でこそ輝くデスマッチファイター・葛西純。満身創痍のプロレスラーが闘う理由『狂猿』
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葛西選手と家族を支えるサイドビジネス
プロレスラーとして売り出すために、葛西選手はかなり無茶な試合をやってきた。「大日本プロレス」時代の2000年8月、「ミスター・デンジャー」と呼ばれた松永光弘選手(現在はステーキハウス経営者)とタッグを組み、秋葉原の野外特設リングで米国から襲来してきたCZW軍団を相手にファイヤーデスマッチを行なった。リング全体がまる焦げになった、とんでもなくクレイジーな試合だった。
怪我と給料の遅延が原因で「大日本プロレス」を退団した後、「ZERO-ONE」での橋本真也選手の付き人を経て、「アパッチプロレス」(現『FREEDOMS』)へ。2009年11月、「大日本プロレス」で共に新人時代を過ごした伊東竜二との後楽園ホールでのシングル対決では、2階バルコニー席からのダイブを決行。メジャー団体の人気カードを押し除け、その年のプロレス大賞ベストバウトに選ばれた。デスマッチがプロレスファンに広く認められた歴史的な一戦となった。
過激なデスマッチを重ねる葛西選手は、素晴らしい名言も残している。「怪我はするけど、大会を欠場するような大怪我はしちゃだめ」「生きて帰るまでがデスマッチ」。客席のファンたちからは「キチガイ」コールが連呼されるものの、常識人としてのきっちりした一面を持っていることが分かる。
ロックバンド「ザ・コレクターズ」のデビューから32年間の軌跡を振り返った『THE COLLECTORS さらば青春の新宿JAM』(18)などの音楽ドキュメンタリーを撮ってきた川口潤監督が、葛西選手をカメラで追い始めたのは2019年の暮れから。葛西選手は長年の闘いの後遺症から首と腰のヘルニアが悪化。長期欠場を告げるところから、ドキュメンタリーは始まる。
試合に出なければ、収入は激減する。結婚している葛西選手には育ち盛りの子どもが2人いる。フツーなら、奥さんが「年齢も年齢だし、転職すれば」とシビアに言うところだが、大のプロレスファンである妻・三知代さんは、葛西選手が納得できるまで現役を続けることを認めている。横浜市郊外の団地で不自由なく暮らしているものの、葛西選手は一家の主人として、一軒家かマンションを購入したいと考えている。それまではプロレスを辞められない。子どもと一緒に、近くの公園で過ごす葛西選手。温かい家庭が、デスマッチファイターの心の支えとなっている。ミッキー・ローク主演映画『レスラー』(08)とは、真逆の世界が広がる。
葛西選手はファッションセンスもよく、イラストを描くのも得意だ。ファンが何を求めているのかニーズをキャッチする能力があり、ネットショップ「クレイジーファクトリー」を開き、独自ブランドのTシャツなどを通販している。映画の中でも、葛西選手が奥さんと一緒に商品の発送をしている姿が映る。以前はラブホテルの清掃バイトをしていたそうだが、今はネットショップの売り上げがあるので、一家4人が食べる心配はせずに済むようだ。サイドビジネスがうまく行っているのも、デスマッチを続けられる要因のひとつだろう。
葛西選手と交流のあるレスラーたちの談話も盛り込まれており、後輩レスラーの竹田誠志選手はコスチュームの手配から、その費用まで世話になったという。それでも、葛西選手は先輩風を吹かすことはしない。レスラー仲間からの、葛西選手への信頼は厚い。ただの怖いもの知らずのトンパチなら一瞬だけトップに立てても、長きにわたって第一線で活躍し続けることはできない。40歳すぎてなお過激、葛西選手はコク深く、まろやかさのあるパンクス野郎だ。
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