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日刊サイゾー トップ > カルチャー > 映画  > Netflix的フェミニズムと多様性

『クイーンズ・ギャンビット』が描く“女性の解放”とは?──自由主義に矛盾しないNetflix的フェミと多様性

珠玉の青春映画が伝える“揺らぐ性”とは何か?

 少々ややこしいことを述べたが、最後にこのテーマで私が純粋に一推しをしたい作品を紹介しておこう。20年に配信された映画『ハーフ・オブ・イット:面白いのはこれから』である。アメリカの片田舎でくすぶる中国系の高校生エリー・チューは学業優秀だが、内向的で友人もいない。宿題の代行で小遣い稼ぎをしていたエリーは、アメフト選手のポールに、彼が慕うアスターへのラブレターを代筆するよう頼まれる。代筆という形で「文通」をしているうちに、エリーはアスターに対する複雑な気持ちを育てていく。

 フェミニズムやダイバーシティというのは、大上段に構えた政治的な問題(だけ)ではない。そうではなくまず問題なのは、私たちの性というものは、この珠玉の青春映画が伝えてくれるように、どこまでもぐらぐらと不安定なものである、ということだ。そう、この映画は私たちが自分のぐらつく性や愛を持て余していた「あの瞬間」を思い出させてくれる。それは過ぎ去った青春の瞬間だけではなく、今この瞬間なのかもしれない。

 このような映画を見せてくれるのだから、Netflixにはなんだかんだ言って期待せざるを得ないのである。

(文/河野真太郎)

最終更新:2021/05/17 11:00
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