『青天を衝け』ついに土方歳三が登場!「両足の裏に五寸釘」残虐すぎて映像化不可能な“鬼の副長”の所業
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──歴史エッセイスト・堀江宏樹が国民的番組・NHK「大河ドラマ」(など)に登場した人や事件をテーマに、ドラマと史実の交差点を探るべく自由勝手に考察していく! 前回はコチラ
NHK大河ドラマ『青天を衝け』、ついに物語は新局面に突入することになりました。
渋沢栄一と喜作の二人は、横浜焼き討ち計画を企てていたことが役人にバレてしまったので、故郷・血洗島から京都に向かうことになります。渋沢の自伝『雨夜譚(あまよがたり)』によると、この時は文久3年(1863年)11月頃だったとのこと。
次回予告では、ディーン・フジオカさん演じる五代友厚と、町田啓太さん演じる土方歳三の映像がチラッと映りましたが、ネット上での反響はかなりものだったようです。
新選組の副長である土方が、(二代目の)局長・近藤勇をすっ飛ばしてクローズアップされるのは、少々異例と思うかもしれません。これは渋沢喜作と土方が、後に合流、ともに新政府軍と戦うようになることの“伏線”といえるでしょう。
今回は「鬼の副長」と呼ばれた、当時の土方の“恐ろしさ”についてお話ししてみようと思います。
新選組時代の土方歳三は「鬼の副長」と呼ばれていたのは、有名な話ですよね。
栄一と喜作が京都に向かった文久3年は、新選組が結成された記念すべき年でもありました。もともと現在の東京・日野市の農民の家に生まれた土方歳三が、剣術を学び、同郷の近藤勇たちと共に「浪士組」を結成、その彼らが約2週間の旅を終えて京都に到着したのが文久3年2月23日のこと。
ときの将軍・徳川家茂が上洛(=京都に行くこと)を計画しており、土方らが属する浪士組は将軍警護のために、江戸から京都を目指して旅立ちました。ところが京都に着いたとたん、指導者と仰いでいた清河八郎という人物が「われわれの活動の本当の目的は、将軍の警護ではない。幕府の転覆と尊皇攘夷だ!」などと演説をはじめ、「そんなことは聞いていない」「納得できない」という隊士だけが京都に取り残されることになったのです。
これが、後に新選組の初期メンバーとなる面々で、中には土方歳三や近藤勇、そして初代新選組隊長となった芹沢鴨(せりざわ・かも)もいました。
そして、この中で度外れて、京都の人々から恐れられていたのが土方だったのです。
渋沢たちが京都に到着するのが文久3年末なのですが、この年のうちに土方にはすでに2つも残虐すぎて映像化不可能なエピソードがあるのですね。
文久3年8月にあった、その名も「八月十八日の政変」というクーデターの“後始末”を行った土方の姿はとくに有名です。それまで尊皇攘夷を推し進めてきた長州藩の面々、そのシンパは、天皇の支持を失い、京都から追い出されてしまいました。
土方は長州派の要注意人物を匿っていた桝屋喜右衛門という男を逮捕しますが、殴る、蹴るの拷問を加えても、彼は「自分の本名が古高俊太郎」という以外、口を割りません。
土方は、彼を後ろ手に縛りあげ、その身を天上の梁(はり)から逆さにして吊り下げることにしました。すでに傷ついていた身体中の皮膚が裂けて血まみれになっても古高は沈黙を守ろうとするので、土方は彼の両足の裏に五寸釘を打ち付け、その釘にロウソクを差して、火を灯しました。
ロウソクからは熱いロウが垂れ流され、それは足を伝って身体に伝わります。さらにロウソクが短くなっていけばいくほど、足の裏を火で焼かれているのと同じ熱さが襲ってきますから、ついに古高も音をあげたそうな。
古高からは「京都の街に火をつけ、松平容保など幕府の有力者を途中で待ち伏せし、打ち取る。天皇を拉致し、長州につれていく計画だった」などという恐るべき証言が取れました。そういった“作業”を、土方は粛々とこなしたそうです。
こうした土方の残忍さは、新選組の風紀を乱す者にもいかんなく発揮されました。この年の8月13日、新選組の初代局長だった芹沢鴨が、京都の豪商・大和屋が資金提供をしないという理由で、大和屋の蔵に大砲を発砲。燃え上がる様を見て、ゲラゲラ笑いながら酒を飲んだ、という実に恐ろしい事件を起こします。
当初は大和屋の蔵が燃えているだけでしたが、暴利を一人でむさぼった大和屋を恨んでいた近隣の商人たちが駆けつけ、救援するどころか、大和屋の別の蔵にしまってあった生糸を燃やして回り、辺り一面が灼熱の地獄と化しました。
土方は使命のためにはいくらでも残忍になれる男でしたが、芹沢のような無軌道な乱暴者は嫌いでした。この大砲事件から約1カ月後の9月13日、もしくは16日の深夜、土方率いる何人かの隊士たちが酔っ払って寝ている芹沢をメッタ刺しにして、命を奪ったそうです。これは土方の意思というより、新選組の身柄を預かっていた会津藩主・松平容保(まつだいら・かたもり)の粛清命令に土方が従っただけともいわれていますが……。
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