加藤浩次にオリラジほか…脱藩芸人が続出中!お笑い芸人と事務所の関係に変化?
#お笑い #マセキ芸能社 #よしもと
コラムの連載を始めてもうすぐ1年が経つ。お笑い、芸人、エンタメについて元芸人目線で好き勝手考察しているように見えると思うが実は題材を決めるまでに意外と時間がかかっている。
そんなアイディアが枯渇した僕にとって、毎日エンタメ業界でアンテナを張り、常に次に何が流行るかをチェックしている編集長さんからの『次は◯◯について書いてみてはどうですか?』というアドバイスが非常に助かるときがある。
今回はそんな編集長さんからいただいた題材。「芸人と事務所の関係性」について、元芸人目線で分析していこう。
僕が現役だったのはもう10年以上前だ。その頃と今では、芸人と事務所の関係性は大きく変化したと言える。
事務所が売り手で芸人は商品。これはいつの時代も変わらない。
僕らの世代は特にダウンタウン、ウッチャンナンチャンに憧れてお笑いの道に進んだ芸人が多い。その影響で、尖っているほうがカッコいいとか、人と違う事をアピールしたり、人間的にも未完成で素人同然の若手が大量にいた時代だった。
事務所はそんな調子にのった若手に礼儀を教え、事務所が絶対的な存在であることをしっかり身に染み込ませる。事務所が上で、芸人が下、今の時代なら嫌悪感を抱かれそうなマウンティングやパワハラにもとられる言動も、日時茶飯事だった。
ところで 『め組の大吾』(小学館)という若手消防士の活躍するマンガがある。
そのマンガの中で、レスキュー隊の訓練をする回があるのだが、レスキュー隊というエリート集団に入れた若者たちは、浮足立って訓練をしている。しかし教官たちは必死の形相で若手を訓練しているのだ。「若手のまま火事の現場に行くと、必ず足手まといになる。それは災害をひとつ抱えるのと同じだ。なのでどうしても我々と同じレベルになってもらう」というようなセリフがあり、愛がある故の厳しさであると物語っている。
当時の事務所の行いは、まさにこれと同じだ。
芸人の身分をわきまえない言動は事務所間の問題や、最悪の場合はテレビ局との問題に発展する可能性もあり、そうなると事務所が大打撃をくらうだけでなく、本人の芸人生命も終わってしまう。
「芸人と事務所の関係性」は、一蓮托生とまでは言わないが、厳しさを伴う家族のような存在だったと言える。
よく、“昔は尖っていた”と話す芸人がいるが、これはある程度売れてからの話で、全く売れていない時代に尖っていて、そのまま尖り続けて大成した芸人はいない。
誰しもが事務所や先輩芸人の指導のもと、礼儀や業界で生き抜く様を学ぶ。獰猛な大型犬を躾け、だれかれ構わず噛みつくのを防ぐのと同じである。
ここで反抗する者は早々にフリーになるか、マネジメントが甘い個人事務所へ移籍し、未完成のまま世にも出ず芸人人生を終えることも多い。
厳しい指導に耐えた芸人は晴れて事務所のファミリーとして迎えられ、何かあったときは事務所が矢面に立ってくれた。
例えば、テレビ局で何か怒られるようなことをしてしまったとする。人としては怒られるようなことでも芸人として正しければ、事務所が芸人の代わりに怒られて、芸人の代わりに怒ってくれるのだ。そのように芸人を守り、時には叱咤激励しながら育て、運をつかみとれるようサポートしてくれる。
僕はこういった温かい事務所を多々知っていた。
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