小津安二郎、サイレント映画で現した社会の不条理…視点の差でいつのまにかに子どもの世界に引き込む“小津マジック”を堪能
#映画 #ドラマ #キネマ旬報 #宮下かな子
こんばんは。宮下かな子です。先日、愛用しているiPadのタッチペンを失くしたんです。きっと一度は失くすだろうな、と以前から思っていたのですが、本当に不便で困りました。毎日ツイッターに更新しているイラストも、この連載のイラストも、iPadで描いているものですから、この件今回を機に、すっかりデジタル人間になっている自分を実感したのでした。さて、どこを探しても見つからなかったので諦めて購入しようとしていたら、叔母がプレゼントで送ってくれたんです。叔母ありがとう~!今度は失くしても戻ってくるように、名前か電話番号でも書いておこうと思います。
さて、ゴールデンウィーク中の今回、ご紹介する映画は、小津安二郎監督『大人の見る繪本 生れてはみたけれど』(1932年松竹)です。絵本=子供が読むもの、と考えがちですが、大人になってから改めて読んでみると、ハッとさせられることがあったりしますよね。今回、久しぶりに小津作品に立ち返りたくなり、キネマ旬報で初めて小津監督がベスト1位を獲得したこちらを選んでみました。
この作品、サイレント映画なんです。皆さんはサイレント映画、ご覧になったことありますか?実はこの作品が、私のサイレント映画デビュー作。当時サイレントだと分からずに鑑賞し、壊れているんじゃないかと何度もDVDを出し入れした思い出があります。
映像のみ、しかもモノクロ。それなのにグッと心惹きつけられる、子供の頃読んだ絵本の記憶、のような、温かな作品です。台詞の掛け合いも音楽も色彩もないのに、何故こんなにも惹きつけられるのか、その魅力をお伝えできたらと思います。
〈あらすじ〉
父親(斉藤達雄)の仕事の都合で引っ越してきた兄(菅原秀雄)弟(突貫小僧)は、転校先の同級生と喧嘩ばかり。ある日いつも厳格な父親が、同級生•太郎の父親のご機嫌を取っている姿を見て失望する。「お父ちゃんは偉くなれというのに、ちっとも偉くないじゃないか!」兄弟の反発が始まる。
まず、誰もが体感したことのある〝子供の世界〟を、コミカルに、時にシビアに描いているのが、視聴者を惹きつけるポイント。
小津映画に子供が登場することはとても多く、腕白でのびのびとした姿にクスッとさせられたり、大人との対比として描かれていたり、重要な役割を担っています。本作では兄弟をはじめ同級生やら多くの子供たちが登場するので特に賑やか。まだ小さな子供なのに、自然体なお芝居をしながら、サイレントならではの少し大きめな身振り手振りもこなし、視聴者をしっかり笑わせてくれる、立派なエンターティナーなんです!
優秀な子役たちの中、今回物語を進めていくのは、仲良しなやんちゃ兄弟。弟がいじめられていたらすぐさま助けに行く兄と、兄の言動を真似したがり、いつも兄にくっついている弟。2人は頭の上にお弁当箱を乗せて歩いたり、ヘンテコなポーズをしておちゃらけたり、時に悪知恵を働かせ父親に叱られたり。先生に怒られたことを今でも根に持って覚えているくらい、ど真面目な子供時代を送っていた私には、ちょっと考えられない見事なやんちゃっぷりです(笑)。小津監督は昔、学校をサボって活動映画を観に行っていたり、意外とやんちゃをしていたようなので、もしかしたらご自分の体験を基にされているのかもしれませんね。
そんな兄弟の前に立ちはだかるのが、ボスを筆頭にした転校先の学校の子供たちです。この子たちと力任せに喧嘩をしながら、時に知恵を絞りながら、次第に〝子供の世界〟で地位を築いていきます。小さな子供たちですが、既にヒエラルキーが存在しているんです。グループの上に立つボスには決定権があり、みんながその指示に従って動いています。兄弟は試行錯誤の結果、遂にボスの座に君臨し、他の子供たちを従えるようになるのです!
子供って、目に入るもの全てにくるくると関心を示し、予測不可能な行動を取るので、何をするか心配で目が離せなくなりますよね。小さな出来事でも、その全てにおいて真剣に一喜一憂する、やんちゃな子供たちの姿が、面白おかしくコミカルに描かれています。
(改ページ)いつのまにかに大人の視点から子供の視点に…
その〝子供の世界〟の視点に視聴者を引き込む演出が、もうひとつのポイント。はじめ視聴者は、やんちゃな子供たちを見守る大人の視点で物語を観ていたと思うんですが、ジロリと睨む父親の表情に、子供たちと同様ヒヤリとさせられ、いつのまにか子供の視点にも立たされていることに気付かされます。〝子供の世界〟と〝大人の世界〟2つの曖昧な境地で行ったり来たりしながらハラハラさせられるのです。
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