渋沢栄一、人生最大の黒歴史──大河ドラマが描かない「日本人女性を外国人に取られたくない!」のホンネ
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渋沢栄一が踊らされた「架空の遊女」の伝説
ちなみに渋沢と横浜の港崎遊郭の接点は、これで終わりではありませんでした。後に渋沢は慶喜の弟に随行してフランスに渡っているのですが、横浜から船に乗った時、ほかならぬ「岩亀楼」の日本人向けの遊女・喜遊(きゆう)が「外国人を客に取れ」と言われ、自害したという噂を聞き、「これぞ日本の女のあるべき姿だ」と感激したそうなのです。
実際、喜遊は「攘夷女郎」などと呼ばれ、死んでいるぶん、理想化しやすかったこともあり、尊王攘夷派の心のアイドル的存在として祭り上げられていきます。
喜遊の辞世は「露をだにいとふ 倭(やまと)の女郎花(おみなえし) ふるあめりかに袖はぬらさじ」という歌で、「アメリカ人の相手をさせられるくらいなら、誇り高い日本人女性である私は死を選びます」と要約できます。
これに渋沢は感激してしまったというのですが、ここにもウラの事情がありました。
攘夷の志士たちにマークされた「岩亀楼」周辺は、外国人客が入れないくらいに治安が悪化しており、「岩亀楼」の経営も、大金をばらまいて稼がせてくれる外国人客が来ないのでやっていけなくなっていました。
困りきった経営者が、「それなら、ウチで喜遊という攘夷女郎が自害したというフェイクニュースを流せば、志士が来てくれるかもしれない」と一計を案じたというのです。
ですから、喜遊なんて遊女は最初から存在していたかどうかも怪しかったのですが、それにコロッと渋沢ふくむ志士たちはやられてしまったのでした。実に単純なものです。
渋沢の横浜焼き討ち計画自体は頓挫しましたが、港崎遊郭はその開業から10年もたたない1866年(慶応2年)11月26日、俗に「豚屋火事」と呼ばれる大火災によって焼失しました。火事は横浜の異人街にも飛び火し、大変な被害を出しています。
外国人が好むブタ料理店からの出火とされているものの、詳細は不明。おそらく、かつての渋沢と似たような思想の持ち主で、「憂国の士」を気取る連中の手による放火ではないかとも囁かれています。
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