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日刊サイゾー トップ > エンタメ > テレビ  > 『家つい』イナイレから奇跡のメッセージ

『家、ついて行ってイイですか?』闘病中の親友を思い『イナズマイレブン』にメッセージを送った、奇跡

罪を憎んで人を憎まず。蒸発して、半世紀後に現れた母を…

 赤羽一番街商店街で番組スタッフが声を掛けたのは、カラオケ居酒屋を経営する57歳の女性。今年、マスターである父親が亡くなり、その後を継いだという。

 後日、改めてディレクターがお邪魔した彼女のマンションは、亀戸にある2LDKの持ち家。江戸川区が一望できる見晴らしのいい部屋だ。そして、部屋の中に視線をやると父親の遺影が飾られてあった。取材当日は父の死からまだ1カ月経っていない頃だった。

 すると、彼女の兄が妹宅へひょっこりやって来た。“パパっ子”だった妹が心配で、頻繁に顔を見せに来るらしい。兄妹仲はすごく良さそうだ。

「順調に生きていたらこんなに仲良くなってないよ。お互い、苦しいときに助け合って生きてきたからこそ」(兄)

 妹さんは、自身が幼かった頃の家族写真を見せてくれた。かつての父は若くして何百人もの社員を抱える茨城の建設会社社長をやっており、本当に怖い人だった。しかしある日、世界が変わったという。

妹 「子どものときに母親が蒸発してしまって。兄が小学5年生、私が小学2年生の頃」
兄 「ようは、従業員とできちゃって」
妹 「会社の金持って逃げちゃったの。手形とか小切手を入れて3,000万円くらい。給料も払えないから家を売ってみんなのお給料を払って、会社も手放して、子どもたちを2人抱えて、親戚の建設会社を頼って東京に出てきたの」
兄 「東京に来てしばらくしたら借金取りが来て。命が危ないので父が夜逃げみたいな形であちこち逃げてたんですよね」
妹 「東北に逃げていたときは、たぶん数年帰ってきてない。2年間くらいだったと思う」

 母が金を持って社員と蒸発か……。こんなの、ドラマの中だけの話と思っていた。3,000万円を持ち逃げして行方をくらましたなんて、ほぼほぼ事件の話である。

 その間、兄妹は建設会社の飯場で生活をしていた。食事は飯場の食堂でご飯だけもらい、おかずは買えないのでバターライスをごちそうにしていた。

妹 「子どもの頃から父親は『罪を憎んで人を憎まず』とよく言ってた。産みの母親の話をするときは、必ず最後にそういう風に言う」
兄 「子どもの頃はそういうの、やっぱ恨むんですけど、大人になっていくと、やっぱり親父にも悪いところはあったんですよ。きっと……きっとね? 夫婦は夫婦にしかわからないことがあるから、そういう風に考えると憎しみとか恨みとか、そういうのはだんだん無くなりますよね」

 しかし昨年5月、蒸発した母親が突然兄妹の前に現れた。50年ぶりに向こうからコンタクトを取ってきたのだ。母は捨てたはずの子どもに助けを求めに来た。

兄 「『一緒に住んでいた男性が亡くなって1人になってしまったので、新しい県営住宅に住みたい。だから、離婚届を出してほしい』と。(戸籍上)1人じゃないと県営住宅は入れないので。(父と)籍を入れっぱなしだったんですよ。で、親父は83歳で離婚したんです(笑)」

 突然姿を現し、「助けてほしい」と言ってくる放蕩母。普通の感覚なら「どの面下げて……」と思ってしまいそうだ。よく顔を出せたし、虫のいい話である。筆者だったら追い返す。でもこの家族は申し出を受け入れ、離婚させてあげたようだ。心が広すぎるのでは? いや、広くならざるを得なかったのかもしれない。

兄 「本人(父)は結局、(母に)会わなかったね」
妹 「うちの父親は相当悔しかったしね。結局は、うちの父親と産みの母親に振り回された子どもたちっていう」

 言葉の端々から感情がこぼれ落ちている。兄妹2人は母のことを一貫して「産みの母親」と呼ぶ。罪を憎んで人を憎まずではあるけども、母を母と思うことができないのだろう。そもそも、実感が湧かないはずだ。

 一方、亡くなるまでの4年間、兄妹は父とほぼ毎日のように一緒にいた。その頃の父は、もう1人では病院に行けない状態。なので、妹が付き添って色んな病院を回ったそうだ。父は「俺は子どもに親孝行されて幸せだ」と頻繁に口にしていたという。

兄 「親孝行して1番幸せだったのは俺たちだったよね。それは親父が亡くなって気付きました。最後に親父に教えてもらいました」
妹 「でもね、やっぱりね、足んないんだよ。どんなにやってもやっても、やっぱり親孝行って足りない。もっとやってあげたいって思う。もっと生きててくれたらって思っちゃう(泣)」

 親を思う子の気持ちである。そしてもう1つあると思う。幼い頃、兄妹は親の愛情をなかなか受けることができなかった。だから、親の愛情が欲しくてもっと長生きしてほしかったのかもしれない。

 実は、亡き父にはこんな一面もあったという。

兄 「親父には『今日からお母さんって呼びなさい』って女性が3人くらいいたからな」
妹 「そうそうそう。女性連れてきて『お母さんだよ』って言われて」
兄 「俺が12歳のときに19歳のお母さんを連れて来たから。そしたら、そのお母さんの親が連れ戻しに来たから」

 父も父でそれなりにやっていたのか……。良かった、逆に救われた。感動話にしているけども、両親ともにかなり破天荒である。

 今回放送されたエピソードは、どちらもフィクションみたいな話だった。「事実は小説よりも奇なり」とは、『家つい』のためにあるような言葉にさえ思える。

寺西ジャジューカ(芸能・テレビウォッチャー)

1978年生まれ。得意分野は、芸能、音楽、格闘技、(昔の)プロレス系。『証言UWF』(宝島社)に執筆。

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てらにしじゃじゅーか

最終更新:2021/04/28 21:00
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