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「死ぬまで食べても2500円」サイゼリヤの“多幸感”を歌う韓国のアーティスト、イ・ラン インタビュー

「死ぬまで食べても2500円」サイゼリヤの多幸感を歌う韓国のアーティスト、イ・ラン インタビューの画像1
Photo by Yeri Hong

「死ぬまで食べても2500円」「ワインください/デキャンタください/いやマグナムで」――韓国に暮らし、日本のカルチャーシーンでも活躍するシンガー・ソングライターでアーティスト、イ・ランの楽曲「I Saizeriya U」では、そんなフレーズが歌われている。

 2016年に発表されたこの曲を、最近改めてよく聴きたいと感じるようになった。新型コロナウイルスの感染拡大により経済活動や人々の消費活動に大きな制約がかかり、飲食店の営業時間短縮やテイクアウト形式の定着など、外食様式にも大きな変化がみられている。だからこそ、「I Saizeriya U」という曲が内包する“外で食べるという体験が与える幸福感”に触れてみたくなったからなのではないかと思う。

 誰もが一度は行ったことがあるであろうイタリアンレストラン・サイゼリヤ。そこで過ごす幸せな時間を歌う「I Saizeriya U」にまつわるエピソードを、作者であり歌い手であるイ・ランに聞きながら、外食を取り巻く変化と普遍的な価値について考えたい。

――「I Saizeriya U」という曲が作られたきっかけはどんなものだったのでしょうか。

イ・ラン「私がだいたい20年くらい前から仲良くしている“ファン先生”(黄菊英さん、『クイズ化するテレビ』/青弓社の著者の一人)という大切な友人がいるんです。彼女は日本へ留学していて、韓国に帰国したあと私に日本での生活について話してくれたり、日本語の先生になってくれたのですが、ついにファン先生と一緒に日本へ行くことになり、その旅行中の出来事がこの曲を作るきっかけになりました」

――それがランさんにとってサイゼリヤに行く初めての機会だったのですか?

イ・ラン「そうです。ファン先生が留学中に過ごした場所を巡る旅行だったのですが、そういう思い出の場所の一つとして、彼女がアルバイトをしていたサイゼリヤを訪れようということになりました」

――「I Saizeriya U」の歌い出しで「松本店長に電話しなきゃ」という歌詞がありますけど、もしかしてその「松本店長」って、ファン先生が留学中にアルバイトをしていた店舗の店長さんなんですか?

イ・ラン「そうなんです。結局、私は松本店長には会えなかったんですけどね。『話に聞いていたサイゼリヤで“スペシャル・ディナー”を食べよう!』と、日本の友達のナリタとユキを呼び出したんですが、『なんでわざわざサイゼリヤで?』と不思議がられました(笑)。でも韓国にいるとき、ファン先生がずっと『サイゼリヤなら、死ぬまで食べても2500円』って言ってたから、とても行ってみたかったんです。それで実際に行ってみたら、本当に安いのにパスタ、ピザ、サラダ、ドリア、ワイン……色んなもの注文できて、死ぬほど飲んで食べて、何だかお金持ちになった気持ちになりました」

――一緒に行った人とメニューを見ながら、食べたいものをガンガン頼むっていう体験の豪快さはテンション上がりますよね。ファミリーレストラン、それもとりわけ安価なサイゼリヤでこそ経験できることだと思います。

イ・ラン「そうそう。ファン先生、ナリタ、ユキと私の4人で会うのは初めてだったのですが、皆でいっぱい飲んで食べて面白い話で盛り上がって、とにかく楽しかったんです」

――どんな話をしたんですか?

イ・ラン「その時は、貴族のセックスについて話しました。ユキが大学で“貴族のセックス”をテーマに研究していたので、私も『昔の韓国の王室では、お付きの人たちが王様のセックスの様子を文章で記録していたんだよ』と話したりして、すっごく盛り上がりました。日本語だと、物事を丁寧に言うとき単語の頭に“御”をつけるじゃないですか、“御飯”みたいに。そういう感じで、韓国語だと王様の何かを表すとき単語の頭に“竜”をつけるんですよね。だから、王様のうんちは“竜便”といいます。それから、王様の男性器は、“竜ペニス”って記録できるんじゃないかって話したりして、初対面同士なのに息ができないくらいゲラゲラ笑って(笑)」

――思わぬ話題でした(笑)! それも王様のように、死ぬほど飲んで食べながら。ちなみにその旅行では、サイゼリヤの他にどんな場所へ行ったのですか?

イ・ラン「印象的なのは、阿佐ヶ谷の『Roji』というカフェ&バーに行って、たまたまやっていた『新曲の部屋』というイベントを見たことです。そのイベントは、黒岡まさひろさん(ホライズン山下宅配便のボーカル)とゲストのミュージシャンの2人がステージ上で互いに話をしながら、観客の前で曲を作って録音するというもので。それを見て、私は『これは凄い。絶対韓国でもやりたい』と思って、企画者の黒岡さんと仲原達彦さんに許可をもらって、実際に韓国でも開催していました」

――そのイベントを見て「これは凄い」と感じたのは、なぜだったのでしょうか。

イ・ラン「私は一人で作品作りをしているから、曲が出来上がる瞬間って基本的に一人でいることが多いんです。でも『新曲の部屋』では観客に見守られながら曲を完成させていくので、その瞬間が皆でシェア出来る。それが、私はとても面白くて良いなと思ったんです。そういえば、ソウルに日本の『新曲の部屋』チームを呼んで日韓スペシャル回をやった時、通訳をしてくれたのもファン先生でしたね」

――そこへ繋がってくるのですね! しかも『新曲の部屋』企画者の黒岡まさひろさんは、「I Saizeriya U」の制作にも参加されている一人でもあって。

イ・ラン「そうそう。あの曲は、私とファン先生と黒岡さんとビーサン(Alfred Beach Sandal/北里彰久さん)が日本で遊んだときに出来たんです。皆でビーサンの家に行ったのですが、部屋が超寒くてじっとしてられなかったのと、始発までの時間を潰さなければならなかったので、なんとなく皆で曲でも作ろうとなって」

「死ぬまで食べても2500円」サイゼリヤの多幸感を歌う韓国のアーティスト、イ・ラン インタビューの画像2
「I Saizeriya U」制作時のメモ
「死ぬまで食べても2500円」サイゼリヤの多幸感を歌う韓国のアーティスト、イ・ラン インタビューの画像3

――いま一連のお話を聞いていて、たまたまその場に居合わせた人たちが同じ時間を共有し、それぞれの考えをシェアするからこそ生まれるものって本当に多いなと感じました。「I Saizeriya U」という曲も、サイゼリヤで盛り上がる時間も、偶発的に集まった人たちのかかわり合いで生まれたものですよね。

イ・ラン「うん。そういうものの面白さって、この先どうすれば引き継いでいけるのかなと、最近よく考えます。日本もそうだと思うんですけど、韓国でも今は、皆がコロナにかからないようにお店が早く閉まるようになったし、一緒に入店できる人数も4人までに制限されていて。韓国では『ペダル(배달、韓国語で配達の意味)』といって、24時間出前ができるので、最近は多くの人がすっかり出前文化に慣れてきています」

――日本でも、コロナの影響で外食の機会が制限されていることはもちろん、「Uber Eats(ウーバーイーツ)」が急速に浸透しつつあります。

イ・ラン「そうやってこの先、たとえコロナが収まったとしても、皆が外で集まることが前よりも少なくなっていくのが当たり前になるような気がします。たまたまの出会いや、そこから生まれるものっていうのも減るのかな」

――その変化はお互いの安全を守るため、今は本当にやむを得ないことではありますが……そんな渦中だからこそ、「I Saizeriya U」という曲から伝えられる“幸福感”が心に沁み入るのかなと。

イ・ラン「コロナをきっかけに新しい文化やシステムが導入されて、人々はどんどん慣れていきます。でもその変化に順応できる人もいれば、できない人もいると思う。例えば、今の出前システムのほとんどは、スマホやクレジットカードを持ってることが前提になっているじゃないですか。でも持っていない人は沢山いるし、使い方が分からない人もいるでしょう。あとは配達員に住所が知られることにどうしても安心できない人だっているし、配達員の人だってもしも事故に遭ったときにちゃんと補償が受け取れるのかとかね。そういう、これから解決していかなきゃいけない問題もまだまだ多いから、とても難しい」

――確かに、向き合わなければならない問題は山積みです。外食産業も厳しい状況下で変化を迫られるなか、新たな業務形態に切り替えて経営を成立できるところと、そうでないところがありますしね。

イ・ラン「うん。お客さんだって、今まであった場所が無くなってしまって『どこに行けばいいの?』と困っている人が多いんじゃないかな。私が好きな韓国の映画で『小公女』(原題『소공녀』、2018年公開)というのがあるのですが、主人公の女性は本当にお金がなくて家賃さえ払えないけど、毎日煙草を吸うことと、バーでウイスキーを飲むことだけはどうしても守りたいという人なんですね。他の人たちは『煙草とウイスキーを我慢すれば暮らしていけるのに』と言うけれど、彼女にとっては毎晩バーで煙草を吸ってウイスキーを飲む時間が、生きる上でどうしても必要なんです」

――もしかしたら、その映画の主人公にとって生きるということは、バーで過ごす時間を大切にすることを意味するのかもしれない。

イ・ラン「そうそう……それで、もしかしたらこの先、“誰もいないお店”と“家”という点と点を、出前のバイクだけが行き来しているという世界が当たり前になっていくのかもしれないと考えると、その映画の主人公みたいな人はどうやって生きていけばいいんだろうという気持ちになります。これから新しい“当たり前”が作られていく上で、そういう人の心とも向き合いながら変化していけるといいなと思いますね」

編集者、ライター。1990年生まれ。webメディア等で執筆。映画、ポップカルチャーを文化人類学的観点から考察する。

すがわらしき

最終更新:2023/02/28 10:51
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