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『青天を衝け』徳川家に嫁いだ悲劇の皇女・和宮物語──眞子さまと小室さん問題にも通ずる「皇族の結婚」の難しさ

和宮が泣く泣く受け入れた結婚だったが、夫婦仲は……?

『青天を衝け』徳川家に嫁いだ悲劇の皇女・和宮物語──眞子さまと小室さん問題にも通ずる「皇族の結婚」の難しさの画像3
画像出典:「伝和宮肖像写真」徳川記念財団蔵

 かくして、和宮も14代将軍・家茂との結婚を泣く泣く受け入れ、江戸に下ることに同意することになったのです。現在の話になりますが、「それでも小室さんと結婚したい」という皇女・眞子さまの御意志を皇室ができる限り尊重しようという伝統はこの頃からあるわけですね。

 さて、1862(文久2)年、和宮と家茂の婚儀は“万事つつがなく”、江戸城内にて執り行われることになりました。前回お話しましたが、家茂も和宮との結婚前には、“おひな”という初体験の相手との悲恋の“伝承”があり、両者ともどもスムーズな結婚というわけではなかったのかもしれません(関連記事はコチラ)。しかし、家茂と和宮はお互いを慈しみ合う、良い夫婦になりました。とくに恥ずかしがり屋の和宮を、やさしくリードしていく家茂の態度は立派なものだったといわれます。

 将軍が御台所(正室)と食事するというルールは特になかったのですが、毎昼、家茂は大奥に戻り、和宮と食事を共にしました。二人は共に虫歯が多かったことでも知られますが、お菓子も一緒に食べていたのかもしれません。また、庭の散歩をしているとき、家茂は和宮と手をつなごうとして、驚いた和宮から手を振り払われたことまであったそうですが、それでも妻と仲良くなるための努力を続けました。

『青天~』の「次回予告」で、家茂と和宮の対面シーンの映像が流れましたよね。史実でも二人が夫婦として対面する際、最初に頭を下げて挨拶するのは将軍である家茂からでした(ちなみに史実では二人は同い年です)。

 普段の二人はお互いを「あなた」と呼び、自分のことは「こちら」もしくは「わたくし」と呼んで、会話をしていました。和宮や、その侍女たちの日記を見てみると、家茂は書き言葉では「大樹(たいじゅ)」と呼ばれていたことがわかります。「大樹」は慣例的に将軍を指す言葉ですね。

 ちなみに時代劇では通例となっている、将軍を「上様(うえさま)」と呼ぶことには「上(かみ)」と呼ばれる程度で、「上様!」という「呼びかけ」は基本的になかったそうですよ(『旧事諮問録』など)。理由として考えられるのは、ドラマなどとは違い、史実において公式の場で、臣下が将軍に堂々と話かけることが難しかったからかもしれません。「呼びかけ」の単語自体が存在しなかったというのは、当時の身分秩序の厳しさを物語っているようで興味深いですね。

<過去記事はコチラ>

堀江宏樹(作家/歴史エッセイスト)

1977年、大阪府生まれ。作家・歴史エッセイスト。早稲田大学第一文学部フランス文学科卒業。日本・世界を問わず歴史のおもしろさを拾い上げる作風で幅広いファン層をもつ。原案監修をつとめるマンガ『La maquilleuse(ラ・マキユーズ)~ヴェルサイユの化粧師~』が無料公開中(KADOKAWA)。ほかの著書に『偉人の年収』(イースト・プレス)、『本当は怖い江戸徳川史』(三笠書房)など。最新刊は『隠されていた不都合な世界史』(三笠書房)。

Twitter:@horiehiroki

ほりえひろき

最終更新:2023/02/21 11:49
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