ヤクザの腕を切り落とし、10億円を荒稼ぎ… 13年間服役した「怒羅権」元メンバーが語る「犯罪者にとっての反省」
#半グレ #怒羅権 #汪楠
再犯する者を少しでも減らしたい
(13年間の服役生活の間、人権派弁護士や支援者との面会、文通、読書などを通じて、汪氏は自分の犯した犯罪によって被害を受けた人々がいることに気づき、贖罪の意識が芽生えると同時に人生の意味を考えるようになる。そして出所後、犯罪の世界に戻らないことを心に決め、犯罪者の更生支援の活動を開始する)
汪 刑務所から出てきたのは42歳のときでした。それまでまともに働いたことは1年間しかなかった。非常に不安定な状態だったと思います。犯罪の知識はたくさんあるし、犯罪者とのコネクションもまだ生きている。すぐにでも犯罪でカネを稼げる状態なのです。ここで大切なことは犯罪者時代の生活水準に引きずられないこと、そして承認欲求をこらえることです。
かつてはいい服を着て、いい店でメシが食えたということをいつまでも引きずっていると、犯罪以外に大金を稼ぐ方法を知らないから再犯の確率が高くなる。それに人は人に認められたいと思うものです。表の社会では何のとりえのない私でも、犯罪組織に戻ればすぐに『すごい』と褒めてもらえる。出所した直後、自分は犯罪以外に人に褒めてもらえる要素が何もないのだと愕然としたものです。
とにかく犯罪なしで生きていける自信をもてるよう、出所後は犯罪者の知り合いが大勢いる地元(葛西・怒羅権発祥の地)から離れて暮らしました。ホームレス支援など、さまざまなボランティア活動をしました。そうして活動をしていると新しい交流関係ができて、そのなかで必要とされたり、評価してもらえたりするようになる。2年経った頃、ようやく自信がもてるようになり、地元に戻ったのです。
現在は受刑者の更生支援や再犯防止の活動に取り組んでいます。しかし、日本は再犯率が高く、50%近くに登るのです。とくに最近では新型コロナウィルスの影響で現場仕事なども限られ、収入が途絶えて犯罪に再び手を染めてしまうケースが増えている。
草下 出所した者に対する裏社会からの誘いは多いですね。刑務所のなかで知り合った人間、もともと一緒に犯罪をやっていた人間、さまざまな方面から連絡が来る。出所した人は、一度は表社会で頑張ってみようと仕事を探すわけですが、入れ墨や経歴の問題から面接で落とされたり、そもそもお金がないから面接にいくためのスーツが買えなかったり、といった困難に直面して悩み、疲れて、かつての仲間伝いに犯罪の世界に戻ってしまう。
汪 犯罪者だって更生したいか、したくないかでいえば全員更生したいと思っているんですよ。犯罪というのは被害者だけでなく、加害者も不幸にするというのは事実です。
上出遼平氏(以下、上出) 汪さんと初めてお会いしたのは3~4年前。たまたま存在を知り、連絡をとってお訪ねしたのですが、当時はメディアの取材を受けないとおっしゃっていましたね。2019年には『NHKスペシャル』や『ザ・ノンフィクション』に取り上げられていますが、何かきっかけはあったのですか?
汪 刑務所を出てすぐに一度メディアの取材を受けたのですが、そのときに頭をよぎったのが自分は何者なのか、ということです。ただの元犯罪者でしかない。私は出所から1年経った頃に犯罪者の更生支援の活動を始めるのですが、社会的にはなんの実績もないわけです。
ちょうどその時期に上出さんが訪ねていらっしゃった。そんな状態でテレビに出て『今はまじめになっていて、これから良いことをしようと思っています』といっても何の説得力もないでしょう。元犯罪者がまじめに生きるための支援をするのなら、まず自分がまじめになったと証明しなければ社会の理解は得られません。ある程度、自分の活動の結果が出てきてからでないとメディアの取材は受けられないと思ったのです。
6年くらい経つと活動が軌道に乗り始めて、忙しくなってきました。当時500人くらいを支援していたと思います。スタッフも足らなくなってきていて、マスコミに出て協力者を募ったり、自分たちの問題意識についてメッセージを発信したりしようと思うようになりました。
上出 僕はドキュメンタリーを撮る立場として、常に撮られる側の気持ちが気になっています。汪さんは『ザ・ノンフィクション』や『NHKスペシャル』の被写体になった。どんな気分だったのでしょうか? 僕らのような取材者はいわば安定した立場の人間です。そういう人間がそうでない人間にカメラを向けてメシを食う、という構図が存在します。そういう構図に対して、どのような気持ちを抱かれますか?
汪 難しい質問です。少なくともいえることは、私にとってもテレビに出るメリットはあるということです。活動がやりやすくなるのです。例えば、ある刑務所では『NHKスペシャル』を受刑者に見せた結果、大勢から私の活動が認知され、手紙をもらいました。
また、支援している受刑者に信用してもらえるようになりました。私たちのようなボランティア団体は受刑者に良いイメージを持たれていないのです。国からカネを受け取って、受刑者を食い物にしていると思っている人もいる。実際には活動は赤字続きですが。そうしたなかドキュメンタリーに出ることで私の生い立ちが伝わり、信用してくれる人が増えたのです。
上出 もうひとつ質問を。汪さんは日本に来た当初は学校にも家にも居場所がなく、犯罪行為でつながった仲間とのコミュニティが居場所になっていった、と『怒羅権と私』で書いています。それは犯罪にまみれていたけれど、間違いなく汪さんにとって必要な居場所だった。そしていま、汪にとっての居場所とは、どこにあるんですか?
汪 居場所というのは、いろんな人に必要とされることなのだと思います。例えばいま、朝7時くらいになると支援をしている元受刑者から電話がたくさん来ます。『会社にいきたくない』とか、そういう相談です。私は夜型人間で朝はつらいですけど、その電話に全部答えます。お昼になると土方をしている人が昼休みの時間をつかって電話をしてきます。夜にもいろんな相談がきます。とても忙しいです。
でも、私が電話に出て話をするだけで彼らは安心してくれる。文通をしている刑務所の受刑者の人々も私からの手紙を喜んでくれる。この関係性について私は義務感と責任感を感じます。感謝されることもあるし、褒められることもあります。この人から必要とされる状態が居場所なのだと思うのです。
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