ヤクザの腕を切り落とし、10億円を荒稼ぎ… 13年間服役した「怒羅権」元メンバーが語る「犯罪者にとっての反省」
#半グレ #怒羅権 #汪楠
1980年代後半に中国残留孤児2世・3世を中心に結成され、現在でも半グレの代表的存在として裏社会で強い影響力をもつ「怒羅権」。創設期からその活動に関わり、13年間刑務所に服役した元メンバー・汪楠(ワン・ナン)氏が今年1月に出版した書籍『怒羅権と私~創設期メンバーが語る怒りと悲しみの半生~』(彩図社)が注目を集めている。
怒羅権は警察でも全貌を把握していないといわれ、その創設期メンバーが内情を明かす書籍は前代未聞だ。しかしそれ以上に衝撃的なのが、本のなかで詳細に語られる汪氏が手を染めた犯罪の一部始終である。
敵対する暴走族メンバーを土下座させ、一人ひとりのあばら骨を全て折る。金銭トラブルになった暴力団組員の腕を日本刀で切り落とす。鍵屋を誘拐してノウハウを聞き出し、ピッキングによる窃盗で10億円近くを奪取する。こうした内容を、ニュースサイト「文春オンライン」が書籍から抜粋して2月下旬にYahoo!ニュースに配信すると、爆発的に閲覧されると同時に、「反省しているとは思えない」「残酷過ぎて読み進められない」といった数千件もの批判コメントが寄せられた。
そうしたなかで3月2日、トークライブハウスのロフトプラスワン(東京・歌舞伎町)で『怒羅権と私』の刊行トークイベントが行われた。登壇者は、著者である汪氏のほか、編集を担当した作家・草下シンヤ氏、世界中の“ヤバい”人々の食卓を追う異色のグルメ番組『ハイパーハードボイルドグルメリポート』ディレクター・上出遼平氏。犯罪者にとっての反省とは何か、イベントのハイライトとして語られたその内容を一部抜粋してお届けする。
汪楠氏(以下、汪) 事実として、犯罪集団に所属して日常的に犯罪を行っていると、例え逮捕されたとしても罪悪感を抱くことはほとんどありません。犯罪をしてお金を得ているわけですが、自分で頭を使って苦労して得たお金なのだから、当然の報酬だとすら思うようになるのです。
草下シンヤ氏(以下、草下) 『仕事』という感覚ですよね。一般人からすると犯罪がないことが日常だけど、プロの犯罪者からすると犯罪が日常。戦争状態における兵士の心理と似ているかもしれない。人を殺すか殺されるかが基本なので、だからこそ一般社会に復帰するとPTSDになってしまう。
汪 だから犯罪者が逮捕されて反省する、というのはありえないわけです。ただ、捕まった夜は留置場のなかで後悔はします。犯罪でカネまわりがいいわけだから、前日まではホテルで女を侍らせて贅沢な生活をしている。そのギャップに落ち込むわけです。しかし、反省にはつながらない。
私が問題だと思うのは、日本の司法と刑務所には犯罪者に反省を促すシステムが存在しないことです。取り調べではどのように犯罪をやったかを単に尋ねられるだけ。裁判が終わって判決が下されたらもう誰もその罪について掘り返さない。あまりにも事務的な流れなので、自分の罪と向き合うタイミングというものが実はないのですよ。ゆえに逮捕され、刑務所に入り、出所するという流れのなかで反省するのはシステム的に難しいと思うのです。
草下 犯罪者を日常的に取材している私からすると、日本社会における『反省』という行為の問題点はまさにそこにあると思います。誰も『反省していません』とは口に出しませんよね。そんなことを言えば当然叩かれるし、とりあえず『反省しています』と言った方が得であるわけです。
プロの犯罪者が反省をするとしたら、それは『なぜ捕まってしまったのか』とか『どこにミスがあったのか』といったことについて。つまり、犯罪における失敗を繰り返さないための反省に向かってしまい、犯罪自体をしないための反省には向かわない。これがほとんどの犯罪者が口には出さない真実なのだと思います。だからこそ汪さんは『反省という言葉を気軽に使えない』と言っていますね。
汪 怒羅権が結成された経緯には中国残留孤児に対するいじめや家庭環境の悪さなど、さまざまな要因がありましたが、それをいつまでも語って自分の罪を正当化することはできません。もう子供ではないのだから、被害者ヅラはできない。
私は実際、年を経るごとにどんどん複雑な犯罪を主体的に計画して実行していくようになっていきました。当然確信犯なのです。若い頃はカッとなってヤクザの腕を切り落としたりもしましたが、犯罪集団を率いるようになるともう考えていることが全く違う。あらゆる可能性を考えて綿密に計画を立てるのです。
草下 自分が逮捕されたときのことまで見据えて計画を立てているわけですね? どうしたら起訴されないか、というような。
汪 末端の者が捕まったら、その家族の面倒をどう見るか、なども考えます。
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