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「優生学に直結する」と思考停止するほうが問題だ! 「遺伝子社会学」が追究する“格差”の正体とは? 

「優生学に直結する」と思考停止するほうが問題だ! 「遺伝子社会学」が追究する格差の正体とは? の画像1
(写真/Getty Images)

 『遺伝子社会学の試み 社会学的生物学嫌い(バイオフォビア)を越えて』(日本評論社)という本が2021年3月に刊行された。遺伝のことを採り入れた社会学というと、かつての優生学のことを想起したり、血液型による性格判断差別(ブラッドタイプハラスメント)につながることを懸念したりする人も多いだろう。「遺伝子社会学」とは危険な試みではないのか。遺伝を考慮に入れたほうがよい理由とは何か――。筆頭編著者の桜井芳生氏(鹿児島大学大学院人文社会科学研究科教授)に訊いた。

「優生学に直結する」と思考停止するほうが問題だ! 「遺伝子社会学」が追究する格差の正体とは? の画像2
桜井芳生、赤川学、尾上正人編著『遺伝子社会学の試み 社会学的生物学嫌い(バイオフォビア)を越えて』(日本評論社)

デタラメな血液型性格診断とはレベルが違う

――この本に参加されたみなさんは、どういう問題意識から遺伝子社会学に取り組まれているのでしょうか?

桜井 我々のような社会学者はみんな、スマホは使っているし、自動車も乗っている。腕を切れば血は出るし、コロナにだって感染するし、ダーウィン進化論が正しいだろうと信じている。そのくせ、なぜか日本の社会学者の多くは、人間については理科系のサイエンスとは関係なく分析できる、社会は生物とは関係ないと思いたがるところがあるんですね。編著者である赤川学さん、尾上正人さんは東大の大学院の同窓なのですが、我々が日本社会学会とかで生物学的な知見に基づいた話をすると、基本的には「あっち行け」という感じなんですよ(苦笑)。それに対して「そうじゃないだろう」と思っている人たちにお声がけして、「社会学者の生物学嫌い」を矯正したいという思いから作ったのが今回の本です。
 遺伝子の話をすると、生得論――つまり「生まれか、育ちか」でいえば「生まれで決まる」という遺伝決定論なのかと思われがちなんだけれども、生得的なものと環境からの影響は両方あるに決まっている。ただし、どちらがどのくらい効いているかは調べてみなければわからない。だから、その両方を測る総合的な社会科学モデルを通常科学化したいわけです。例えば、親の学歴が子どもに影響があることはすでにわかっています。では、それは遺伝子を経由して効いているのか、環境を経由して効いているのか。その割合はどれくらいなのか。こういうことを調べもせずに格差社会云々を議論するのではなく、人間が生物であるという側面も踏まえて考えましょう、と。

――「遺伝子を前提にした社会科学は優生学につながるのでは?」と懸念する人も多いと思いますが。

桜井 刃物をどう使うかは利用者の価値観次第じゃないでしょうか? それから、倫理面の議論が追いつくためにも事実は先んじて知っておいたほうがいい。日本の知識人や学者が慎重論を唱えているうちに、世界ではブランド卵子、ブランド精子を買って子どもを作る現象が加速していくでしょう。私は10年ほど前にハーバード大学で10カ月ほど研究させていただきましたが、そのときすでに家からハーバードに向かう地下鉄の中に「あなたの精子1本、約10万円で買います!」という広告が貼ってありましたからね(苦笑)。やっぱりハーバードの学生を想定した広告だったのでしょう。そして、好むと好まざるとにかかわらず、英語圏では収入、学歴、IQと遺伝的な情報との関係について研究が進展していて、かなりのことがわかりかけています。現実がそういう段階まで来ている中で、じゃあ周回遅れ状態の日本ではどうしていくのか。
 もちろん、懸念する声もわかりますよ。ただ、「良い遺伝子を残せば社会が良くなる」というスペンサー式の社会ダーウィニズム(19世紀末、イギリスの社会学者ハーバート・スペンサーが唱えた概念。ダーウィンが示した生物の進化における自然淘汰や生存競争の理論を人間社会に適用し、社会現象を説明しようとした。こうした主張はやがて、利潤追求や特定人種の支配を合理化するために用いられ、ナチズムの人種理論、優生学、帝国主義の正当化に貢献してしまうこともあった)がかつて蔓延したことに懲りた結果、社会学者たちが「生得的な側面に関しては捨象する」「遺伝子を調べることは優生学に直結する」という粗雑な思考法にいまだに支配されてしまっていることのほうが問題だと私は思っています。実は社会ダーウィニズムは、ダーウィン自身のバイオダーウィニズムをかなり誤解しています。「事実を調べること」からしか経験科学は始まらないのではないでしょうか。
 そうやって批判するわりに、日本では社会科学に携わる人々の自然科学に対する無理解が目立つことも問題です。例えば「遺伝子を調べている」と言うと、「血液型のことですか?」と勘違いする人や、「遺伝子で人間を判断するのは血液型性格診断のようなものだ」と思う人が、学生はもちろん社会学者にすら多い。日本でもアメリカでも血液型とパーソナリティ(性格)との相関は否定されています。「A型はこういう性格」みたいな世の中に流通している情報はデタラメです。一方、遺伝情報とパーソナリティや身体的な特徴、学歴などに関しては実験・分析の結果、相関がいくつも見つかっています。全然レベルが違う話です。

――逆に、遺伝を考慮してもわからないことはなんですか?

桜井 うーん……思いつかないですね。人間が生物であるということを前提にすると、ヒトの行動や心理に対して遺伝子がまったく効いてない領域があることを見つけられたら、それはノーベル賞を獲れるくらいの発見じゃないでしょうか。

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