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日刊サイゾー トップ > インタビュー  > 上野「CASTLE RECORDS」の大きすぎる功績

ZORNとKOHHが共演した幻の曲も特典に! 上野アメ横発ヒップホップCD屋「CASTLE RECORDS」の大きすぎる功績

ZORNが3連覇したMCバトル「THE罵倒」

――ところでCASTLEといえば、MCバトルのイベント「THE罵倒」の主催としても知られています。個人的には「MC BATTLE THE罵倒 2013 渋谷予選」で、「JUNJI TAKADA」を出した直後のKOHHとLIL KOHH、MSCのPRIMALのライヴを観たことが印象に残っています。「THE罵倒」はどのように始めたのですか?

G.O 最初は08年です。ヒップホップの中のひとつとしてMCバトルをとらえていました。自分の中でMCバトルはもともとマニアックなコミュニティだったんです。「B-BOY PARK」のMCバトルやUMBなどは当時お祭り的な要素もあったから、ラッパーは出るというノリがあったように見えるけど、MCバトルやフリースタイルをやるのは、どちらかと言えばナード系や文化系、リュック背負ったようなバックパック系がメインだった。で、そういう子たちはフリースタイルが上手いじゃないですか。不良のラッパーたちはそいつらに負けるのがイヤなのでMCバトルには出ないという(笑)。だから、MCバトルにも出る漢君は特殊だったと思うんですよ。自分たちはそんな漢君や般若君、MASARU君が先輩として近くにいたし、フリースタイルをできないのはダサいと思っていたので、自分もRAW-TやOHLI-DAYとフリースタイルしていました。

――MCバトルはもともとマニアックなコミュニティだった、という指摘は面白いですね。

G.O で、「THE罵倒」の始まりは、フリースタイルのコミュニティにいる後輩に「バトルの大会をやりたい。G.Oさんがまとめ役をやってもらえないですか?」って頼まれたのがきっかけでした。まだmixiが活発な時代だったから、mixiのMCバトルのコミュでエントリーを募集して。そうしたら、意外とラッパーもお客さんも集まったんです。

――予想外に盛り上がったんですね。

G.O そうなんです。しかも、自分は葛飾の下町出身だけど渋谷で活動していたから、例えば、墨田区の下町出身のラッパーのはなび君とかリンクがなかったんですよ。若いから対抗意識もあるじゃないですか。ただ、スタイルは違っても、みんなラップが好きなのは共通しているから、徐々にリンクし始める。それで、これは続けたほうがいいと思って、2回目からCASTLE主催にした。翌09年からはZORNが出場するようになって、11年まで3連覇するんです。で、MCバトルの3連覇といえば、「B-BOY PARK」のKREVA、「ULTIMATE MC BATTLE」のR-指定、「THE罵倒」のZORNみたいな感じになった。やっぱり、「THE罵倒」が注目されて大きくなっていったのはZORNの存在も大きいと思っています。そして、もともと下町ナンバーワンを決めるのがコンセプトだったのが、ほかのエリアからもラッパーが来るようになって規模が拡大していった。ただ、ZORNは3連覇する前から「3連覇したらMCバトルをやめる」と宣言していて有言実行したので、12年からどうしようかと考えて、東京、千葉、埼玉、神奈川で予選をやって関東を回ろう、と。そのとき、「THE罵倒 2012 埼玉予選 vs 戦極MC BATTLE」という形で「戦極」と一緒にやらせてもらって、新たなMCバトル・コミュニティができていく流れがあった。

――「THE罵倒」はもちろん暴力を推奨しているわけじゃないですが、「ボディタッチあり」というルールが特色としてありますよね。

G.O ガチンコですよね。さすがにケンカになったら止めますけど、ヘラヘラした感じじゃなくて、緊張感を持って戦ってほしいし、ほかの大会とは一線を画すためにそういうルールを設けているのはあります。MCバトルだったらラップで何を言ってもいいという風潮もありますけど、自分の言葉に責任と覚悟を持ってほしいというメッセージとして受けとってくれればいいなと思います。

――そうして、15年から『フリースタイルダンジョン』(テレビ朝日系/20年7月に番組終了)の放送が開始される、と。

G.O 10月に“戻ってきて”から、『フリースタイルダンジョン』に出演していたラッパーの知名度や人気がすごすぎて驚きました。だって、崇勲と街を歩いていると、超話しかけられるんですよ。「え? 崇勲ってめちゃめちゃコアなMCじゃないの?」って。あと、呂布カルマ、NAIKA MC、晋平太とかの人気も衝撃でしたね。呂布カルマは、“中”で読んだ「ヤンジャン」(「週刊ヤングジャンプ」集英社)などにも載っているのを見て、「“外”で何が起きているんだ?」と思いました(笑)。

――おっしゃりたいこと、わかります。ここ数年の変化は急激でした。

G.O ですよね。そうそう、「THE罵倒」と連動して、空きスペースだったアメ横センタービルの一番上の5階で、無料のイベント、周年イベントとかもやっていました。無料の催しなので、アーティストのみなさんには本当に気持ちでいろいろと協力してもらって。ビールケースの上にターンテーブルを置くような、DIYのパーティでした。「B-BOY PARK」じゃないですけど、自分たちなりにアメ横でそういうイベントをできていたときは、シーンに対して何かを提示できている実感がありました。

――MEGA-GとMC漢がライヴしている映像が一時期、YouTubeにアップされていたと記憶しています。

G.O それは14年の5周年イベントのときだったと思いますね。トリが漢君だった。で、あれはLIBRO君の「マイクロフォンコントローラー」という曲ですね。BLAHRMY、LUNAちゃん(MaryJane)、J-REXXX、十影、SMITH-CN、RAW-Tも出てくれた。前日には、サイプレス上野君、TARO SOULとIZOH君のSUPER SONICSのライヴもあり、MCバトルではSIMON JAPが優勝して、その流れで翌日にライヴをしてもらった。先輩のサウンドマンから借りたスピーカーでバコバコ低音を鳴らすから、下の階から苦情が来ましたね。

――よく追い出されませんでしたね(笑)。

G.O ホントそうなんですよ。よく怒られもしましたけど、当時のビルの社長さんは自分たちのことを大目にも見てくれて。学校の先生と生徒の関係じゃないですけど、口うるさく言われつつも、「やるならやれよ」というめちゃラフな感じで応援もしてくれてたのかなと。管理がもっと厳しいビルだったら、追い出されていたとは思います。

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