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田中邦衛さん逝く──『北の国から』トンデモ裏設定と地元で愛された“五郎さん”ほのぼの伝説

田中邦衛さん逝く──『北の国から』トンデモ裏設定と地元で愛された五郎さんほのぼの伝説の画像1
『北の国から』(BSフジ公式サイトより)

 俳優の田中邦衛さんが3月24日に亡くなったことが遺族によって発表された。

 加山雄三の『若大将』シリーズの「青大将」、『仁義なき戦い』シリーズや『網走番外地』シリーズなど、数々の名演を残した田中さんだが、ライフワークとなったのがドラマ『北の国から』(フジテレビ)。3日には追悼特番として『87初恋』が放送されたが、合計21年続いた同シリーズは、とにかくケタ外れの作品だった。

「今では考えられませんが、1981年に放送された第1作目のシリーズは、放送が半年間続き、撮影にはその倍以上の時間が掛けられました。とにかく惜しみなく金と時間を費やすのが特徴で、イメージ通りの天気になるまで1週間待ったり、実際の放送時間はほんの数十秒なのに、何キロも子役を走らせたりと、ディティールへのこだわりは尋常ではなく、当初の予定の倍以上の予算が掛かったため、プロデューサーは倒れて入院したそうです。

 脚本の倉本聰による登場人物の設定も詳細を極めており、主要人物については生年月日、住所、学校の成績、恋愛遍歴などを記した1年毎のライフヒストリーが作られています。本作では実直な人柄が印象的な五郎(田中)ですが、富良野にあった『北の国から資料館』(2016年閉館)で展示されていた資料によれば、五郎は高校時代に複数の女性を妊娠させた上、農家を継ぐのが嫌で富良野の自宅を飛び出したというのですから、なかなかのクズですね(笑)」(テレビ情報誌ライター)

 連続ドラマの反響は大きく、以降は2~3年毎にスペシャル版が撮影され、子どもたちがどんどんと成長していく姿が収められた『北の国から』。脚本の倉本は、作品の舞台になった富良野に移住したことでも知られているが、作中では山で暮らす五郎が選んだ安住の地は海の近くだった。近所に住む男性はいう。

「田中さんの自宅は横浜市内にあります。最寄り駅からは少し遠いですが、晴れた日には対岸に房総半島が望める高台にあり、ひときわ目を引く純和風建築の豪邸が田中さんのお宅。高級住宅街ですが、芸能人が多く住む場所ではないため、近所では田中さんがその地区に住んでいるのは有名でした。

 地元では、田中さんに関するある伝説があります。実は、田中さんの家から少し離れた場所にバッティングセンターがあるのですが、そこの『ホームラン賞』の名札に『田中邦衛』という名前があり、本人なのか同姓同名なのか、子どもたちの間で話題になっていました。そこである子が店員さんに聞いたところ、本人だとのこと。五郎さんのことですから、さぞかし一生懸命バットを振っていたんだろうと、家族で笑いながら話した記憶があります」

 地元では色々なお店に田中さんのサインがあり、声を掛けると気軽に応じてくれたそう。『北の国から』と五郎さんは富良野を全国区の観光地にしたが、田中さんも地元の住民に愛されていたようだ。

木村之男(芸能記者、TVウォッチャー)

1972年生まれ、東京都出身。大学時代にライターとして活動し始め、出版社~編集プロダクションを経てフリーに。芸能・カルチャー・テレビ・広告業界などに精通する。趣味はテレビに映った場所を探し出して、そこに行くこと。

きむら

最終更新:2021/04/07 12:00
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