『青天を衝け』高良健吾はただの当て馬じゃない! 渋沢栄一の従兄弟・喜作の数奇な人生
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──歴史エッセイスト・堀江宏樹が国民的番組・NHK「大河ドラマ」(など)に登場した人や事件をテーマに、ドラマと史実の交差点を探るべく自由勝手に考察していく! 前回はコチラ
『青天を衝け』では、高良健吾さんが熱演している渋沢喜作(=渋沢成一郎)。史実でも主人公・渋沢栄一より2歳年上で、同郷の従兄弟です。ドラマの中で描かれる喜作は、栄一も認める「いい男」。正確は明るく、情熱家。勉学や剣術の稽古にも熱心という、能力値がまんべんなく広がっているタイプ。
その一方、突出した「何か」があまり見られない、主人公・栄一の「引き立て役」的な存在に現時点では留まっています。喜作が結婚したいと思っている千代も、栄一に取られてしまうようですし。
高良さんほどのビッグネームが演じるには、喜作のキャラは少し弱いかも……と感じている読者がいるかもしれませんが、彼の今後を知ると、印象がガラリと変わると思います。おそらくドラマでも多かれ少なかれ史実に沿って、喜作は描かれると思うので、少々ネタバレになるでしょうが、気にしない方はどうぞ続きを読んでください。
渋沢栄一は、『雨夜譚(あまよがたり)』と題した自伝を残しています。前半部分から渋沢喜作は登場していますが、存在感はあまりありません。
別の渋沢自伝『実験論語処世談』では、「喜作は自分にとって、距離が近すぎる人物であるため、自分には彼のことを正確には語れない」という理由で描くのを自粛していたようですね。
渋沢が喜作を評した言葉で興味深いのは、自分は堅実派である一方、「喜作は一足飛びに志を達しようとする投機的気分(『実験論語処世談』)」の持ち主であるというところです。今風にいえば、ギャンブラー気質でしょうか。実際、後に(株式の)相場で大失敗して、栄一に泣きついたことがあったそうですが、それはまた別の機会に。それに限らず、喜作のことを栄一は放ってはおけず、色々と世話をしてやっていたようです。
最近、『青天~』内でも「尊皇攘夷」のスローガンに沸き立つ、農村の青年たちの姿が熱っぽく描かれています。もうすぐ、ドラマの渋沢栄一と喜作は、大胆な行動に出ると思われます。外国の圧力に対して弱腰すぎる(と彼らには思えた)徳川幕府など潰せ、という「倒幕派」に彼らはなってしまうのですね。
実家との縁を切り、いわば浪人のような身分になって、文久3(1863)年11月12日には、われわれのチカラで高崎城を乗っ取ってみせよう! というクーデターを行うのですが、これにはあえなく失敗してしまいます。
普通ならば、処刑も覚悟の罪人となってしまった渋沢栄一・喜作ですが、勇気と行動力を買われたのか、なんと一橋家の徳川慶喜から「私の下で、働かないか」などとスカウトされてしまったのです。
寝耳に水、青天の霹靂でしたが、喜作は「これまで幕府を潰すということを目的に奔走しながら(略)一橋(家)に士官することになれば、とうとう活路が尽きて糊口の工夫を設けたといわれる」(『雨夜譚』)と難色を示します。クーデターに失敗、居場所も仕事も失って食っていけないから“敵”に取り込まれてしまったと世間から思われるのは恥ずかしい、と喜作は言うわけです。
しかし栄一はそんな喜作をなだめました。たとえ今、倒幕派として死んだところで、世間から「潔い」などと思われて終わるだけだ、と栄一は説きます。
「世の中に対して少しも利益がない(略)世のために効がなくば何にもならぬ」、社会にとって何の利益もないような形で人生を終えたところで、無意味この上ないという栄一に説き伏せられた喜作は、栄一と共に一橋家に奉公する身となりました。
徳川慶喜が、抵抗した末に第15代将軍になると、喜作と栄一も幕府の中枢、つまり江戸城内で働くことになります。栄一は、慶喜の弟・徳川昭武に随行し、フランス留学に出てしまいますが、喜作は幕府でのキャリアを重ね、最終的には将軍直属の役人、「奥祐筆(おくゆうひつ)」にまで成り上がりました。
渋沢栄一の言葉によると「奥祐筆は文事秘書官長と法制局長官を兼ねたやうな要職に相当し、幕府の老中に対しては却々侮り難き勢力あり」……つまり、これは畑の世話をし、藍玉を作って売っていた農民の子が、名門大名家出身の老中たちにモノを言える立場にまで成り上がってしまったことを意味します。
しかし、徳川慶喜が「大政奉還」を行い、江戸城が「無血開城」されると、旧来の身分秩序は崩壊し、世間は荒れました。こうした混乱のさなか、前将軍・徳川慶喜の身を警護するために作られた「彰義隊(しょうぎたい)」のことをみなさんはご存知でしょうか。
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