VRの登場で射精マシーン化が加速する?──Pornhub動画削除で考えるポルノ視聴と男性性の劣化の関係(後編)
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ペニス中心主義がもたらす射精マシーン(機械)化
「ペニス中心主義では、自分の身体や性交が勃起、射精、精液に還元されていき、男性の射精マシーン(機械)化とつながっています。官能が身体全体への感受性や他者とのコミュニケーションなどから複雑に構成されていることを考えると、その貧弱さがわかるかと思います。つまりそこにあるのは、身体とコミュニケーションに根差した、豊かな官能を知らない劣化した男性の性ではないでしょうか。ついでに言うと、VR鑑賞では、精液も“不在”ですね。精液は単に生殖機能だけではなく、男性にとって男らしさ、強さ、生命力などの記号でもあります。しかし、ジョークグッズ内で射精すると、精液はその記号作用を持たないまま、ゴミとなり捨てられてしまいます。これも、効率性と関わっています。ジョークグッズは性的刺激を与えつつ、飛散した精液を処理する面倒臭さも省いてくれます。事業者と視聴者双方にとって都合がいい。記号作用のない完全に機械的な射精も、なんだか貧弱な感じがします」
効率性に基づく都合の良い射精。『男子劣化社会』で述べられていた「気晴らしは諸刃の剣」の部分が思い出される。
「気晴らし程度なら、また気を散らしていたら、本当のエロスに到達できないでしょう(笑)。手軽な気晴らしに慣れてしまうと、いつの間にか射精マシーンになってしまいます。射精マシーンは、たとえ目の前の他者を相手にしていても、ポルノを見てオナニーしているのと変わりないんです。そこには、快楽はあっても、エロスはありません。ここでいうエロスは、田中雅一先生が『癒しとイヤラシ』(筑摩書房)で述べた、性を媒介にした自他の融合や自己変容の契機です。そんな契機を意に介せず、次々と射精マシーンを生み出す今のポルノは、表向きエロスを標榜しながらも、エロスの人類学からすれば、反エロスでしかないでしょう。射精マシーン化は、それこそ劣化と言ってもよく、避けねばなりません」
豊かな官能を知らない劣化した男性による、エロスの否定。これもまた『男子劣化社会』で語られていた「単なる体のパーツの機械的な配置による身体的行為」や、「The Atlantic」のセックスレスを助長する「性器を刺激するのに2人は必要ない」という考えに結びついてくる。
Pornhubの騒動を契機に、ネット上に氾濫しているポルノがもたらす「男性の劣化」「セックスレスの助長」といった批判について見てきたが、技術の進歩とそれに伴う快楽の効率的な追求といった人間的な本能が、かえって人間の首を絞めつつあるというジレンマが見えてきた。
本来であれば「男性を劣化させるペニス中心主義、射精マシーン化から抜け出し、身体に根差した、豊かな官能を求めるべき」とまとめたいところだが、折しも世界はコロナ禍の真っ只中にある。批判的に語られていた「人と関わらない習慣」「別の世界に没頭してしまうほどの気晴らし」といったものが求められ、推奨されるという現象が起きてしまっているのだ。
今回取り上げた諸問題は、ポルノサイトに対する批判という枠組みを飛び越え、長期的にみれば人類の存亡に関わる壮大な警鐘といっても過言ではないだろう。
(文/ゼロ次郎)
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