『青天を衝け』篤姫の「お世継ぎを産んでみせる!」宣言から紐解く江戸時代の“性教育”マニュアル”
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──歴史エッセイスト・堀江宏樹が国民的番組・NHK「大河ドラマ」(など)に登場した人や事件をテーマに、ドラマと史実の交差点を探るべく自由勝手に考察していく! 前回はコチラ
『青天を衝け』、先週は婚礼を控えた篤姫(上白石萌音さん)が、嫁いだ先での自分の役割について、養父・島津斉彬や、輿入れに協力してくれた松平春嶽を相手に話し合うシーンがありましたよね。
篤姫は当初、「元気な自分が、家定に立派なお世継ぎを産んでみせる!」などといいますが、養父や松平が「違う、あなたは妻の立場で夫・家定公をコントロールし、彼が慶喜公を養子になさるよう、仕向けなさい」という“使命”を告げるのでした。
すると篤姫はあっけらかんと、それを了承してしまいます。
「篤姫、お前は母になる喜びを味わえない」といわれているにも等しいのに、サラッと了承したのには、多少驚いてしまいました。この時、数え年で21歳の篤姫がカラリとしていられたのは、少なくともドラマの中の彼女には、性教育が済んでいなかったのかもしれません。
「立派なお世継ぎを得る」などと篤姫は宣言していましたが、その前段階である「男女の交わり」について、どの程度のことを彼女は知っていたのでしょうか。
今回は特別に、(史実の)篤姫にも施されたであろう、江戸時代のお姫様向けの性教育とはどんなものだったかについて、検証していきたいと思います。
『閨(ねや)のお慎みのこと』と題された書物の存在を、読者はご存知でしょうか。『女訓抄』という、大名家の姫君を対象にした処世術マニュアルの一部にあたるのが、この「性教育」を目的とした『閨~』という文書です。
本記事で参考にしたのは作家・神坂次郎氏が、徳川御三家のひとつである紀州藩の旧・家臣の家に眠っていた写本から昭和57年にまとめたものです。原本が書かれたのは、文政8(1825)年、紀州徳川家のお姫様が大奥に嫁ぐ際だったといいますが、諸説ありますね。
さて、気になる内容ですが、『閨のお慎みのこと』というタイトルを意訳すると、「ベッドルームでは、おしとやかに」くらいになるでしょうか。
冒頭では、「理想の妻」について定義されます。原文では「女は性質温順にして、礼儀正しく、恥あるを以て淑徳」なのが良いというのですが、この部分の意訳は次のようになります。
「妻は夫に対し、優しく、包み込むような態度でいなければならない。それは寝室でも同じこと。しかし、いついかなる時も、礼儀正しく、恥というものを忘れてはいけませんよ」
「恥ずかしいから、イヤ!」と相手を突き放してはダメ。「あなたが大事ですから、受け入れてしまうけれど、恥ずかしい」という姿勢を寝室でも崩してはいかんぞ、ということに尽きるようです。
朝までの時間を、身分の高い武家の男女が同衾して過ごすことはありません。同室で寝るなんて、馴れ馴れしすぎるとして嫌われたようですね。ですから、「今日はエッチをしましょう」という約束があって、はじめて夫の寝室に妻は呼ばれるわけですが、そこでも「恥をかくし」、顔をそむけるようにして、床入りするのが大事なのです。
しかし、そこに拒絶感がにじみでていてはダメ。あくまで愛想よく振る舞うことが、とにかく大事。でも、最中に声を出したり、鼻息が乱れるのもNGだそうです。そういうことは恥知らずな行いとされました。
妻がそういう、おしとやかな女性だからこそ、夫もさらなる愛着を感じ、「御興(ごきょう)に乗(じょう)じて、いろいろになぶり給う」のだそうです。訳は必要ないでしょうけど、要するに「ノリノリでいろいろしてくる」のですね。
いやしかし、「いろいろになぶり給う」って声に出して使いたい日本語かもしれません。
昼間に夫から求められたときも断ったりせず、しかし、着物を脱いで全裸になったらダメという教えも『閨~』には出てきます。「恥じらい」を重視して、という内容なのに? と思いますが、とにかく夫を受け止めること。拒まないことこそ大事とされるのです。
ちなみに、夫が「佳興に入り給えば」……要するにコトが終われば、女性はさりげなく立ち上がって、厠(かわや、トイレのこと)に向い、懐紙(ふところがみ、ティッシュに相当)で陰部の処理をササッと行います。
その帰り、手ぬぐいを水で濡らし、夫に「顔をそむけ、きわめて恥ずかしき面持ちにて」手渡すのだそうです。いちいち細かいのですが、いわゆる「素人女性」の魅力を、極限にまで高めることが目的の“指導”なんだろうなぁ、と想像してしまいます。
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