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都はるみ「不遇すぎる男性遍歴」を経て、73歳にして「本当の春」到来か

都はるみ「アンコ椿は恋の花」

 昭和を代表する演歌の女王・都はるみ(73)と俳優・矢崎滋(73)の熱愛が写真週刊誌「FRIDAY」(講談社)に報じられた。記事によれば、東北のビジネスホテルで通い同棲状態という。

 都はるみは、64年、コロムビアレコードから「困るのことヨ」でデビュー。同年リリースした「アンコ椿は恋の花」がミリオンセラーを記録し、その年の日本レコード大賞新人賞を受賞。当時、はるみはコロムビア芸能に所属していたが、“はるみ節”に魅了されたサンミュージックプロダクションの故・相澤秀禎会長の強い要望で、同プロに移籍。その後も次々にヒット曲を飛ばし、76年には「北の宿から」でレコード大賞を受賞。NHK紅白歌合戦にも連続出場を果たし、“演歌の女王”としての座を築いた。

 プライベートでは、当時サンミュージックに所属していた歌手・朝月広臣さんと極秘交際を続け、79年、事務所の反対を押し切ってハワイで極秘挙式を強行した。その時に式に出席していた芸能リポーターの石川敏男氏の紹介で、筆者も朝月さんと知り合った。

 朝月さんは、歌手活動を事実上引退して、銀座7丁目にオーダーメードの紳士服店を開業したものの、銀座の“夜の魔力”に惹かれ、仕事そっちのけでクラブ遊びに没頭するようになった。肝心の店の売り上げは、クラブ遊びで散財した額には追いつかず、はるみの金で遊び歩いては、ホステスらと不倫に明け暮れた。ちなみに、朝月さんは81年に「宮崎雅」名義ではるみとデュエットした「ふたりの大阪」が大ヒットしたこともあって、モテモテだった。

 まもなく朝月さんの浮気がバレ、2人の間には喧嘩が絶えなくなった。はるみは当時、担当ディレクターだった中村一好さんに朝月さんとの関係を相談するようになり、やがて親しくなって、不倫関係になった。

 結局、はるみと朝月さんは82年に離婚。その後、朝月さんはホステスと再婚し、子供を設けたが、女癖の悪さは治らず、再び離婚。筆者は呆れて、距離を置くようになった。

 一方、はるみは中村さんとの再婚を望んでいたが、中村さんの奥さんがの離婚を断固拒絶。はるみは94年、「ふつうのおばさんに戻りたい」として電撃引退し、再婚への望みを託したが、中村さんの離婚が困難だったことから結婚を諦め、その後復帰。中村さんと二人三脚で歌手兼プロデューサーとして活躍した。

 ところが、08年、中村さんが自殺。さらに翌年、前夫の朝月さんも膵臓がんで亡くなった。

 2人の死を乗り越えて歌い続けてきたはるみは、15年に実施した全国ツアーを最後に、コンサート活動の休止を宣言。表舞台から遠ざかっていた。

 その間、はるみは、08年の新宿コマ劇場の座長公演で共演した俳優・矢崎滋と愛を育んでいたようだ。

 長らく男運に恵まれなかったはるみだが、73歳にしてやっと幸せを手に入れたようだ。2人の仲睦まじい老後を見守りたい。

本多圭(ジャーナリスト)

芸能取材歴40年以上、タブー知らずのベテランジャーナリスト。主な著書に『 スキャンダルにまみれた芸能界のトンデモない奴ら』など。

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最終更新:2021/06/30 19:21
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