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日刊サイゾー トップ > エンタメ > テレビ  > 『家つい』南正人の生き様と死に様

『家、ついて行ってイイですか?』南正人の生き様と死に様を偶然にも記録した、日本ロック史の貴重な資料

南正人はカッコいい生き様とカッコいい死に様を見せた

 沖内さんの取材から2カ月後、スタッフの元に沖内さんから1通のメールが届いた。

「南正人を取材されたスタッフ様へお願い。1月7日にステージ上で亡くなられた南正人さんが貴社の取材を7月ごろに下北沢で受けました」
「私はそのステージでベースを弾いていた者でしかも僕は吉祥寺から新座の家まで取材を受けました」

 何だか、とんでもない偶然が起こっている。今年1月、南さんはライブ中に亡くなった。この事実はニュースとして報道されたので、筆者も放送前からそれは知っていた。だから、番組が去年行った取材映像は日本ロック史における貴重な資料になるのだ。

 偶然はこれだけではない。全く違う場所で取材した2人が実はバンドメイトで、しかもラストライブの舞台まで一緒にいたという衝撃。取材時、沖内さんは「今、すごい人とバンドを組んでる」と口にしたが、それは南さんのことだった。膨大な取材数の賜物と言えばそれまでだが、だとしても運命に導かれたかのような展開である。事実は小説よりも奇なり。麻雀じゃないが、引きが強い。そこにはシナリオなんて無い。だから、余計に心に突き刺さる。スタッフは宮内さんの家を再訪した。

「(南さんは)思いっきりギターを弾いていたんで、弦が切れたんですね。で、他のメンバーがそれに気付いて、弦を替えるか他の人にギターを借りようとしたんですけど、その準備をしてるときに倒れて、ステージ上で亡くなってしまって」

 南さんの最後のライブは記録用に撮影されていた。それを宮内さんは見せてくれた。映像の中の南さんは声が力強いし、直後に亡くなるなんてとても信じることができない。ライブで彼は歌っていたのだ。

「まだまだ行こうぜ keep on movin’(動き続けろ) keep on going(進み続けろ)」
「まだまだ行けるぜ keep on movin’ keep on going」

 ギターをかき鳴らしていたら弦が切れたことを仲間に指摘され、椅子から立ち上がった南さん。その後、ギターを抱えたまま倒れこみ南さんは逝った。

 不謹慎かもしれないが、ミュージシャンとしてこれ以上ない死に様だと思う。ステージに立つ人間がステージで息絶えた。本望だったのではないか? 弦が切れると共に命も切れた。しかも、最後に歌った歌詞は「まだまだ行けるぜ keep on movin’ keep on going」だ。人間が理想の死に場所で終焉を迎えることが、どれほど難しいか。長年愛したギターを抱え、一心同体のまま旅立った。一番好きなことをしているときに亡くなったという事実は、素晴らしい人生を送った証になると思う。生き方を貫けば、理想の死に方ができる。南正人はカッコいい生き様を見せ、カッコいい死に様を見せた。

 後日、南さんを取材したディレクターは喜多見にあるビルへ弔問に伺った。応対してくれたのは、南さんにそっくりな6歳下の弟さん・和男さんだ。

「今、遺骨になって地下におりますから」(和男さん)

 例の地下室に足を踏み入れると、雑然としていたはずの秘密基地が綺麗に整理されていた。祭壇が設けられており、お線香を挙げにファンや友人が連日訪れるそうだ。訪れる人がいない日はない。しかも、来る人来る人一様に悲壮感もない。南さんは幸せな人生を送ったのだと思う。

 南正人は好きなことに没頭し、生涯を終えた。「一方、自分はどうなのか?」と自問自答し、モヤモヤした気持ちを筆者は晴らせずにいる。彼の人生がうらやましくて仕方がない。泉谷も南さんの最期に思うところがあったのではないか。ワイプに映る泉谷の表情はリアルだった。

矢作 「すごい偶然だったね、あのベースの人との出会いもね」
泉谷 「偶然って奇跡だね」

 偶然は奇跡だし、奇跡は必然だった気がする。できることなら、泉谷の話をもっと聞きたかった。今回といい、イノマーの回といい、凄い番組だ。合掌。

寺西ジャジューカ(芸能・テレビウォッチャー)

1978年生まれ。得意分野は、芸能、音楽、格闘技、(昔の)プロレス系。『証言UWF』(宝島社)に執筆。

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最終更新:2021/03/17 14:00
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