『家、ついて行ってイイですか?』南正人の生き様と死に様を偶然にも記録した、日本ロック史の貴重な資料
#家、ついて行ってイイですか? #下北沢 #南正人 #甲本ヒロト
甲本ヒロトから言われた「一緒にバンドやろう」は一生の宝
2020年10月に吉祥寺でスタッフが声を掛けたのは44歳の独身男性で、名前は沖内辰郎さん。職業は看護助手だ。「家、ついて行ってイイですか?」と尋ねると、沖内さんは快諾してくれた。埼玉県新座市にある彼の自宅に到着すると、なんとそこは一軒家だった。ここで1人暮らしをしているという。
中に入ると、絶妙に汚い。男1人暮らし、絵に描いたように散らかっていた。ちなみに築40年のこの家は彼が20代前半に1,000万円で購入した物件で、お母さんに住んでもらうために用意した一軒家らしい。でも、今は沖内さんだけが住んでいる。
「『古いの嫌だなあ』っていう話になってきて、(母だけ)引っ越しちゃったんです(笑)」
彼がまた、不思議な人なのだ。雨漏りした天井をそのままにしているし、節約のためガスを自主的に止めている。「食べ物はここに保存すればいい」とカップラーメンまで冷蔵庫に入れているし、お母さんが35年前に作った謎の漬物をまだ冷蔵庫に入れっぱなしにしている。しかも、それを食べてるし! 本人自体は爽やかなだけに、余計に家のほうが異常事態に見えてくる。
ただ、お洒落な一面もある。棚を見ると大量のCDがアルファベット順に並んでいるのだ。ロックバーを意識しているらしい。棚の横にはウッドベースが置いてある。中学時代から始めた趣味で、彼のウッドベース歴は30年に及ぶ。
「今、バンド組んでるんですけど、面白いんですよ結構。生き甲斐ですね」
沖内さんが音楽を始めたきっかけは、ブルーハーツ。デビューアルバムに収録された名曲「パンク・ロック」を中学時代に聴き、ショックを受けた。
「ロックンロールの全てがここに詰まってるなと思って。この曲を知らなかったら楽器をやってないんじゃないかな。こういうロックンロールを日本語で歌っていたのは、当時(甲本)ヒロトだけだったなあ」
「高校卒業して、親に(プロになりたいと)言ったことありますが、反対されました。『絶対、食えないからやめとけ』って。で、『食いっぱぐれのない仕事をやって音楽は趣味でやる程度にしなさい』って」
趣味として音楽を続けているうちに、沖内さんは40代になった。実は彼、ヒロトからバンドに誘われたことがあるそうだ。ハイロウズが解散し、クロマニヨンズが結成される前のタイミングである。
「満員電車の中にヒロトがいたんですよ。耳元まで行って『ヒロトさんですよね? 僕、すごいファンなんでいつでも応援してますからね』って言ったんですよ。そしたら、向こうがニヤッて笑って『良かったら一緒にバンドやろう』って言ってくれたの。それはリップサービスのつもりで言ったのかもしれないけど、嬉しかった。『良かったらバンド一緒にやろう』って、そんな幸せあるんだろうかって思ったんだけど」
この呼びかけに沖内さんは何も答えず、握手だけして別れたそうだ。
「その後にクロマニヨンズが結成されて『もしかしたらクロマニヨンズで僕がベース弾いてたのかなー』って、嫌なことがあったときとかついつい(笑)」
ヒロトからの言葉を彼はリップサービスと言ったが、その通りだと思う。「俺も頑張る。お前も頑張れ」というヒロト流のエールだったのだと思う。ただ、伝え方が最高だ。この呼びかけは沖内さんにとってギフトであり、宝物だ。
「リップサービスって言ったじゃん。そりゃそうだと思って。でも、僕は受け取っておくことでそれが一生の宝になるし、自分のためにもなると思って。そこに向かって行くことができるから」
そして今、共に音楽を楽しんでいる仲間たちも最高のようだ。
「今やっているバンドもね、すごい楽しいんだよね。ちょっとした縁で今、すごい人とバンド組んでるんですけど、やり甲斐をすごい感じる。今、最高のバンドをやれてるかなあと思って」
「音楽を続けることが夢だった。だから今、夢叶ってるんじゃないかな」
ちなみに、沖内さんはバーレスクエンジンというバンドのベーシストだったことがある。当時は「沖内“Q”辰郎」の名前で活動していた。趣味の一言ではとても収まらない活躍ぶりだ。
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