『俺の家の話』ドラマのリアリティとマスクの“距離感”
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観山寿一(長瀬智也)「これが、俺の家の話だ」
他方で、『俺の家の話』(TBS系)。能楽師の家に長男として生まれたプロレスラーの観山寿一(長瀬智也)が、父・寿三郎(西田敏行)が倒れたことを契機に実家に戻り、父親を介護しながら家族や自身と向き合っていく話だ。
本作でのマスクの扱いはほぼ一貫している。登場人物たちは基本的に外ではマスクをつけ、家で家族といるときはマスクを外すといったルールで動く。コロナがあり、かつ、私たちと同じ慣習がある世界だ。
ただし、家族以外はマスクをつけるといっても、“後妻業”を疑わせるヘルパーとして当初家に入ってきた志田さくら(戸田恵梨香)だけはマスクを外している。ケアマネージャーや担当医は寿一らの前でマスクをつけるが、彼女だけは例外だ。血縁にはとどまらない家族関係がそこでは描かれているようにも見える。マスクをつける間柄か否かによって、家族の境界が再定義されているようにも見える。
印象的なのは、5日の第7話。寿一が元妻・ユカ(平岩紙)と、息子・秀生(羽村仁成)の親権をめぐって話し合いをするシーンだろう。双方の弁護士(寿一の弁護士は、永山絢斗が演じる弟の踊介だが)を交えて行われたその場では、当然、全員がマスクを着用している。
が、寿一が息子の誕生とその名前に込めた意味について語り始めると、彼のマスクが下にズレる。口元が露出する。するとユカが「ねぇ、マスク」と注意する。寿一は慌ててマスクを付け直す。
家族的なつながりを維持しようとする元夫・寿一と、そこから一歩引いた元妻・ユカ。その対比がマスクをめぐって描き出される。
かと思うと、今度はユカがマスクを外す。離婚の原因はアメリカに単身渡るなど自身が「家族を顧みなかったこと」にあると反省気味に語る寿一に対し、ユカは「やっぱりなんもわかってへんな」と怒りをぶつける。別れたのはあなたが家庭を顧みなかったからではない。むしろ顧みないでほしかった。あなたが「鋭い野獣みたいな目」で家の中にいると家の空気が張り詰めるのだ――。そう言って詰め寄る。その詰め寄りの中で、ユカはマスクを外す。
元妻の気迫の前に寿一は「ごめん」と謝る。しかし、そんなおざなりな謝罪に、ユカは「なんで『ごめん』で終わらせんの。私はなんなん? 寿一くんのなんなん?」「家族と向き合うのが嫌でプロレスに逃げたんちゃうん? 今さら親権くれって虫が良すぎるわ」とさらに問い詰める。寿一はマスクの中で「ユカちゃん……」と口ごもる。
家族であった時間を問い直すユカと、それに戸惑う寿一。その対比がマスクの有無で浮き彫りになる。
28日の『ボクらの時代』(フジテレビ系)で、マスクに関してこんな対話があった。作家の村田沙耶香が、「他の作家さんが、対談で、マスクってちょっとパンツに似てるみたいなことを、その対談の場に居合わせて話していて」とエピソードを披露したときのこと。作家でミュージシャンの尾崎世界観は次のように語った。
「確かに、今までは(マスクを)『つける』って感じで見てたんですけど、今は『外す』っていう感覚で見るじゃないですか。それ、ちょっとエロい感じありますよね」
マスクをつけていないことがデフォルトの世界では、つけることに意味が出る。マスクをつけていることがデフォルトの世界では、外すことに意味が出る。尾崎のいう「エロい」を、ここでは「親密さ」と読み替えよう。『俺の家の話』ではつけていたマスクが外されるとき、そこでは登場人物の親密さが変化し、関係が組み変わり、家族の意味が揺れ動く。
能楽の能面=マスク、プロレスの覆面=マスク、そして感染対策のマスク。マスクは本作のキーアイテムだ。単なるリアリティ確保のための道具ではない。マスクをつけない間柄だからこそ時にしんどくなる家族の介護の問題が今後どうなるのかも含め、登場人物たちのマスクの着脱が私は気になっている。
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