格闘家・青木真也「みんな再生数とかPV数に疲れている」コロナ禍で挑んだ海外遠征と格闘技界の今
#格闘技 #青木真也 #新型コロナウイルス #RIZEN
「みんな頑張ろうぜ!」というメッセージはもう届かない
──シンガポールと日本ではそう言った面では違いはありましたか?
青木 シンガポールって命令ベースなんです。隔離しなきゃいけないっていうのも、国のルールとして明確にあるし、マスクしなければいけないってあるけれど。日本の場合だったら、基本、お願いベースなんですよ。「緊急事態宣言で自粛してくださいね」ってお願いベースなんです。
──シンガポールは出歩けたのですか?
青木 向こうの国の方と会う機会とかはないです。触れ合えないからね、僕ら外国人は。試合の日に、一人一つのバンに入れられて会場行く時に、「今、初めて外の景色を見るな」っていう感じだったので。
──シンガポール自体の、コロナ対策はどのようでしたか?
青木 友人に聞いたのは、全部どこにいるのかアプリで管理されてるんだとか。店とか施設に入る時にここにチェックインしましたっていうの、やらなきゃいけない。全部完全に管理社会なんで、そういうのを聞いてしまうと、日本は人権が尊重されている国だなって凄い思いました。
──日本とは違って、ルールが相当厳しいのですね。
青木 だからもう日本とは空気感が違いますよ。日本は基本、罰則もないじゃん。文句を言われるのが平気な人なら、自粛しなくてもマスクしなくても「知らないよ」って言えちゃうわけじゃないですか。言い方悪いけど、ちょっと余裕のある国だなって思いましたね。
──今回のONE Championshipへの参戦に関して、まわりの反響はいかがでしたか?
青木 今はまわりの反響は気にしていないんです。僕は「日本中に」とか、「何万人に」っていうものを作っていないから。
──青木さんが「作る」というのは、格闘技の試合ということですか?
青木 そうです。4~5000人とか、1万人ぐらいがわかればいいって思って作っているぐらいだから。大衆受けするものを、もう作っていないんですよ。それでいいと思っているし。
──コロナの話になりますが、去年の4月頃の雰囲気とは世間も違っていますよね。
青木 世間も疲れてきているんじゃないですか。正直、もう今はプロレスとか、格闘技が見たいとかいう状況でもない気がする。僕が気をつけたのが、もう「みんな頑張ろうぜ!」とか、「これからやっていくんだ!」とか、そういうメッセージを伝えないようにしていました。明確に。
──それはなぜでしょうか。
青木 みんな辛い時期だから「頑張ろうぜ」って言いがちなんですけど、それをやってももう響かないし、今はメッセージとして刺さんないなっていうのを思ったんですよね。去年、コロナ禍で、緊急事態宣言でイベントができない時期があって、それが再開されて興行を回すために、制限内で少ない客を入れてそれを放送したり、無観客試合を放送したり、とにかくコンテンツが作らなきゃ、作らなきゃっていう状態だったんですね。YouTubeに代表されるコンテンツの量産みたいなのが凄く起こっていて。
──「頑張ろうぜ」というメッセージが響かなくなっているという点は、実感としても理解できます。
青木 僕が実際に見ているのは格闘技まわりだけですが、作り手がみんな疲れているなって思ったし、1週間ごとに試合があると、誰も覚えていない。1週間前、1カ月前のこと覚えていないなって。消費のスピードが早くなってると感じていて。つらいけど、数字でしか評価の基準がなくなっている。格闘技のマスコミなんか特にそうで。PV数とか再生回数ありきみたいなものになっている。ゆっくりしたコンテンツが作れてないなって。みんな疲れてるなって思っていて。
──それは確かにありますね。
青木 僕は、今必要なのは「労い(ねぎらい)」だと言っているんです。作り手に「良かったね」という反響が届いて、受け手側には僕の試合が始まる前、試合をやった時、試合が終わってからの達成感、そういうものをコンテンツとして一緒に味わってもらえるものができたらいいなって思っていたんです。
──早いスピードで雑に消費されないものを作るってことですよね。
青木:だから「頑張ろうぜ」ってことじゃなくて、「好きなことができて、それを表現する、やることがある、仕事がある」ということ自体が幸せな場所であるみたいなことを思うんです。そして作り手を「労う」ことを大事にしたい。今までのようなスポーツの打ち出し方だと、火傷しちゃいますよね。
──青木さんが火傷するって意味ですか?
青木 いや、伝えたいことが伝わらないし。意味がなくなる。ファイトすることって、ファイトすること自体に価値はない。だってただ殴りあっているのを見て、何も思わないじゃないですか。それが“私事”になるっていうのは、何か感情移入するからじゃないですか。自分のことのように感情移入できるから「ああ、なんかいいもの見たな」って思うんだけど。それをするには、社会と握り合うというか、社会で起こっていることにちゃんとコミットしていないと、人の心に届くものにはならない。それは常に、今求められているものとか、自分たちが役立つもの、社会に有益なもの、ひっかかるものを常に作っていかなきゃいけない。そこを探していかなきゃいけないっていうのはある。
──青木さんにとって“人の心に届く何か”というのが格闘技なんですよね?
青木 僕はそうですね。格闘技だったり、自分の表現することを通じて何かやっていきたいっていうのはあります。そこでいうとなんか、スポーツ、芸事みたいなものが、そういうものから少し外れて行っていますよね。ようは「アスリート」みたいなことを言うじゃないですか。
──アスリートみたいなこととは?
青木 アスリートって言い方するとすごい感じしますけど、ようは「運動が得意な人」ってだけなんですよ。運動が得意な人が100メートル走るのが速いとか、スポーツをするだけなんですよ。そこに勝ちたい気持ち、例えば「選手が競技で勝ちたい」とか「もっといい記録を出したい」とか、各々そういう欲はあるでしょう。でもアスリートとして、競技を通じて自分が何を表現したいのか、何を伝えたいのかっていうのが、多分、今ないんですよ。
──なるほど。
青木 そうなった時に、「だったらそれってやる意味ないじゃん」って僕は思うんですよ。だってそれだったら、ひとりでやっていればいいじゃんって。ただの単純な競い合いで、記録出たっていうだけで。極端な話「ピザを何枚食べた」っていうのと同じだと思うんですよ。
──そういう考え方もあるんですね。
青木 でも僕らやっていることは、社会に価値と言うか、応援されたりするのなら、何か社会に対して役に立つことにならないと、こう死んでいきますよね。ただ走るのが速い人っていうのは、いらないじゃないですか。っていうことを、僕は常に思っていますけどね。
◇◇◇
コロナ禍の世界を語る格闘家・青木真也の淡々とした眼差しには、まるで静かなドキュメンタリー作品を見せられているような感覚を覚える。後編では、東京オリンピックや森喜朗退任に感じたことなどを語ってもらう。
(写真/KOBA)
青木真也(あおき・しんや)
格闘家・レスラー。1983年生まれ、静岡県出身。早稲田大学在学中に、プロ格闘家としてデビュー。プロ格闘家として、PRIDE、DREAMに参戦。修斗世界ミドル級王座、DREAMライト級王座を獲得した。現在は、シンガポールに拠点を置く格闘技団体『ONE Championship』に参戦。2度の世界ライト級王座を戴冠している。
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