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Netflix映画『マリッジ・ストーリー』で学ぶ離婚における女子行動学・初級編

チャーリーの涙は快感の産物、陶酔汁

 チャーリーが泣いているのは、消滅してしまった元妻との関係に想いを馳せ、自分は人間として、男として、確かに「評価」されていたことに時間差で勃起しているからだ。チャーリーの涙は、精液と同じ快感の産物、陶酔汁である。

 一方のニコールが泣いているのは、いい年こいてセンチメンタルに浸っているチャーリーが、言いようもなく健気でかわいそうな存在、すなわち「泥だらけの捨て犬」に見えたからである。ニコールの涙は憐憫の産物だ。なお、ニコールがチャーリーの長所を読み上げるシーンはない。

 前妻の過去完了的な想いに時間差で浸る男と、みじめな前夫を慈愛の目で憐れむ女。まるで、捨てられた飼い犬と捨てた飼い主。この甚だしくも残酷な男女関係のアンバランスよ。その証拠に、その前のくだりでニコールが母・姉とフリ付きで陽気に歌っている歌はアホみたいに陽気なナンバーであるのに対し、チャーリーが友人の前で独唱するのは孤独に陶酔する男の未練たらたらな歌だ。

 ラストシーンでは、息子を抱いたチャーリーの靴紐がほどけていることに気づいたニコールが、チャーリーのもとに駆け寄り、両手が塞がった彼に代わって靴紐を結ぶ。ここも「ほっこりシーン」だが、「だったら夫婦関係復活できるんじゃ……」と期待するのは典型的な童貞野郎の考え方だ。ニコールは単に、チャーリーが転んだら息子が落とされてケガをするからそうしているにすぎない。握手会で推しメンから微笑まれたからといって、彼女と付き合えるわけではないのだ。

 飼い犬と飼い主が対等の関係を結ぶのはもちろん理想であり、多くの夫婦がそうありたいと思って結婚する。しかし現実は、飼い犬が飼い主に跪くことでしか関係を安定させられない。もしくは、逆上した飼い犬が飼い主に噛み付いて関係が破綻するケースの、なんと多いことか。

 なお、捨てられた犬がいつまでも前の飼い主の思い出に浸っている間、その飼い主はとっくにペットショップに行き、新しい犬を物色している。さっさと再婚したニコールのように。

「月刊サイゾー」2020年4・5月号より転載

稲田豊史(編集者・ライター)

編集者/ライター。キネマ旬報社を経てフリー。『映画を早送りで観る人たち ファスト映画・ネタバレ――コンテンツ消費の現在形』(光文社新書)が大ヒット。他の著書に『ポテトチップスと日本人 人生に寄り添う国民食の誕生』(朝日新書)、『オトメゴコロスタディーズ フィクションから学ぶ現代女子事情』(サイゾー)、『「こち亀」社会論 超一級の文化史料を読み解く』(イースト・プレス)、『ぼくたちの離婚』(角川新書)などがある。

いなだとよし

最終更新:2021/03/14 14:00
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