ドラマ『最高の離婚』──子どもが欲しくない男と、欲しい女。夫婦の溝を埋める最良のテキスト
#ドラマ #結婚 #離婚 #最高の離婚 #稲田豊史 #坂元裕二
「“男と女”と“夫婦”は違う。“夫婦”と“家族”も違う」
「子育て無理ゲー問題」がはびこり、「授かり婚」の幸・不幸議論がそれなりに紛糾する現代日本(特に東京都心部)において、上原夫婦のような「見切り発車」と「パートナーへの執着を諦める」ことが「経済的条件以外で夫婦が子どもを儲けるための必須To Do」なのだとしたら、あまりに身も蓋もない。最終話では、結夏の父(ガッツ石松)が拍子抜けするほどシンプルにこれを結論づけた。「“男と女”と“夫婦”は違う。“夫婦”と“家族”も違う」。グゥの音も出ない。
以上を踏まえると、「結婚」と「子作り」が限りなくイコールで結ばれていた前世紀、それなりに説得力ある箴言として流布していた「二番目に好きな人と結婚せよ」が、妙に腹落ちしてくる。
「一番好きな人」とは、一生モノの「取り組む対象」だ。飽きや倦みが訪れることなく、人間探求を永久に続けられる、続けたいと思える相手。対面テーブル席で、じっと見つめ合うイメージだ。ところが、ここに「子ども」という第三者が入ってくると、もうじっと見つめ合うことはできない。子育ては、よそ見しながらできるものではないからだ。パートナーへの執着と子どもへの執心が、真っ向から利益対立してしまう。
「二番目に好きな人」ならば、遠からず人間探求にも飽きが来るだろう。頃合いを見計らって探求の手を止め、人生で「取り組む対象」を「パートナー」から「子ども」にシフトすればいい。対面テーブル席から横並びのカウンター席に移動するイメージだ。2人が視線の先でロックオンしているのは、もちろん子ども。隣に座っているパートナーに視線は向けられなくなるが、「一番」ほどの執着はないので問題はない。横並びなら、(比喩としての)相手の顔のシミや劣化も気にならない。互いの言動に対するしかめ面も、視野角の外なのでバレない。面と向かって向かい合わないのが、「円満な家族」の秘訣なのだ。
「男女がカウンターに座る」などというハイカラな習慣がまだ日本になかった時代、日本においてカウンターの役割は、たぶん「縁側」が果たしていた。仲睦まじいとされる老夫婦が縁側に横並びで座り、配偶者に一瞥もくれることなく日がな一日茶をすすっている状態を「日々是平穏」と形容していた理由を、我々は今一度考える必要がある。
「テーブルの向こう側」と「カウンターの隣」。貴殿のパートナーが座っているのは、一体どちらだろうか?
※「月刊サイゾー」2017年11月号より転載
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