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日刊サイゾー トップ > カルチャー > 映画  > 『レボリューショナリー・ロード』から婚姻を考える

血みどろの夫婦喧嘩! なぜ女性は、泣き叫ぶのか? 映画『レボリューショナリー・ロード』

女は、不快な外部情報から目をそらしたりはしない。否、できない

 お隣の旦那の昇進時期、女子会友だち全員の彼氏遍歴と彼らの会社名・年収、デートで入った店での隣席カップルの痴話喧嘩、立食パーティの会場で誰と誰がつるんでいたか、友人のインスタグラムによる休日レジャー自慢――。男にとっては「どうでもいい」と流せる情報すべてが、彼女たちにとっては流せない。ミーハーだからではない。ノイジーな不快感を含めた全外部情報が、間引かれることなく、脳に入ってきてしまうからだ。

 多くの女は男のように、不快な外部情報から目をそらしたり、都合の悪い真実に気付かないフリをしたりはしない。否、できない。女はその感覚機能の特性上、あらゆる情報を漏れなく拾い、全部を脳でまともに処理しようとしてしまう。

 CPU能力に対して処理すべきデータが多すぎれば、前触れなき暴走(狂ったような嗚咽)も唐突なフリーズ(不気味な凪)も至極当然。「女は気分屋」とは、外界からのインプット情報が膨大すぎるために、自分の意志とは関係なく気分を左右されやすい、という意味だ。

 その筋の人間に聞くと、最高の拷問とは「手足を拘束した人間の顔に、四六時中強い光を当て続けること」だという。眠りたくても眠れない。いくら瞼を閉じても不快な光が気に障る。こうして人は神経が衰弱し、気が狂っていく。同じように、外界からの不快な情報に対して、瞼を閉じたくても閉じられないのが彼女たちだ。彼女たちはいつも、発狂寸前で戦っている。四六時中、拷問を受け続けているのと同じなのだ。

 だから、妻が近所にも聞こえる奇声を上げて激昂したり、突然泣き出したり、激甘な見積もりで離島に移住しようと言い出したり、唐突にサステイナブルな暮らしに目覚めたり、代替医療にどっぷりハマったり、ベクレル的な根拠をもとに子どもを連れて京都方面に避難しようとするのは、致し方ない。むしろ完全に狂うことなくこの程度で押しとどまっているのは、賞賛に値する。

 夫の妻に対する感情を「不気味」から「気の毒」に転化できれば、その夫婦の離婚危機は少しだけ回避されるだろう。ただし、「気の毒」な相手と本当に生涯添い遂げたいかどうかは別問題だが。

「月刊サイゾー」2017年6月号より転載

稲田豊史(編集者・ライター)

編集者/ライター。キネマ旬報社を経てフリー。『映画を早送りで観る人たち ファスト映画・ネタバレ――コンテンツ消費の現在形』(光文社新書)が大ヒット。他の著書に『ポテトチップスと日本人 人生に寄り添う国民食の誕生』(朝日新書)、『オトメゴコロスタディーズ フィクションから学ぶ現代女子事情』(サイゾー)、『「こち亀」社会論 超一級の文化史料を読み解く』(イースト・プレス)、『ぼくたちの離婚』(角川新書)などがある。

いなだとよし

最終更新:2021/03/10 00:35
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