『ゴーン・ガール』男は女の求めるものが理解できない! 観れば結婚したくなくなる夫婦鬱映画
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──サブカルを中心に社会問題までを幅広く分析するライター・稲田豊史が原作を務めるマンガ『ぼくたちの離婚』(集英社)が、3月18日に刊行される。これを記念して「月刊誌サイゾー」で連載中の「稲田豊史のオトメゴコロ乱読修行」から、「結婚・離婚」にまつわるテーマを選りすぐって無料公開します!
※本文中にはネタバレがあります。
春は出会いと別れと心療内科の季節。そんな新年度のはじまりに、我が国の晩婚化と不仲夫婦の鬱を加速度的に推し進めるA級戦犯映画がめでたくDVD化された。
その名は『ゴーン・ガール』。超ド級の夫婦鬱映画である。
(※「夫婦鬱映画」とは、独身者が観ると結婚に対する夢と希望がすべて破壊され、夫婦が一緒に観ると、長らく見ないフリをしていた家庭内問題をムリヤリ自覚させられる恐ろしい映画のこと。「寝た子叩き起こし映画」とも呼ぶ)
ストーリーはこうだ。ニックとエイミーの夫婦は冷え込んだ結婚生活を送っていたが、5年目の結婚記念日の朝、エイミーが失踪。ニックにはまったく心当たりがないばかりか、残された状況証拠から「ニックがエイミーを殺したのではないか?」という嫌疑までかけられてしまう。
映画の中盤で、この失踪劇はエイミーの狂言であることが判明する。エイミーは怠慢な結婚生活を送って若い女と浮気を続けていたニックに「罰」を与えるべく、巧妙に証拠を捏造して警察を欺いた。ニックに罪をかぶせて死刑にし、自らも命を絶つ予定だったのだ。
ここまでなら、「あ、メンヘラ異常妻のサイコパス映画、乙」で片付けられて終わりのところ、話はそう簡単ではない。エイミーは、テレビ番組で「妻に対して誠実ではなかった」と謝罪するニックの姿を見て、思い切り心変わりするのだ。失踪中にかくまってもらっていた元カレの喉を掻き切って殺し、狂言だったことを隠して「誘拐犯から命からがら逃げ出したヒロイン」を装い、ドヤ顔で帰還するエイミー。ニックはエイミーの狂言であることを知っていたが、世論は完全にエイミーの味方。証拠もないのでそれを明かせない。いっぽうのエイミーは嬉々として、かつ着々と「全米が羨む幸せな夫婦」を演じる算段を整えて、物語は終わる。
なぜエイミーは、ニックとの間に本物の愛がないと知っていながら、幸せな夫婦をロールプレイしたかったのか?
それは、エイミーにとって「結婚生活」とは、観客(周囲の人間)がいる前提の”作品”に他ならないからだ。”作品”の完成度が上がって良い見栄えになり、拍手を受けられるなら、その作者である自分自身が不誠実だろうが、欺瞞にまみれようが、泥まみれだろうが、クソまみれだろうが、いっこうに構わない。だからエイミーは自分のことを「クソ女」と自称する。
また、心変わり後のエイミーは、夫のニックですら「クソ男」で構わないと思っている。浮気性で怠慢で世間体を気にする「クソ男」でも、着ぐるみにすっぽり入ってしまえば観客にはバレないからだ。中の人、すなわち夫の真の人間性などどうでもいい。だから帰還したエイミーはニックに、「役割を演じて」と言う。それは「一生着ぐるみを脱ぐな」という非情な命令である。エイミーは「クソ男」であるニックの精子をセルフ種付けして、ニックに無断で妊娠するが、これも「子供」というものが”作品”を完成させるための大事な1ピースゆえ。着ぐるみの股間に切り込みを入れてペニスだけを無造作に引っ張りだす程度の蛮行など、エイミーにとっては屁でもない。
しかしニックは違う。妻が「クソ女」であることは許しがたい。「クソ女」と結婚している自分を受け入れることができないし、もし本当に妻が「クソ女」ならば、すぐにでも関係を絶ちたいと思っている。理由は、それが自分の低評価にもつながるからである。ニックは、否、男という生き物は、基本的に(あくまで基本的に)「不特定多数の他人から尊敬されたい」と願っている。「クソ女」が自分の妻だなんて、沽券にかかわる。女同士の集まりで噴出する旦那の愚痴より、男同士の集まりで噴出する妻の愚痴のほうが圧倒的に少ないのは、そういうわけだ。
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