芸人とテレビとポリコレと──金属バットにあって、おぎやはぎ小木と『水ダウ』にはないものとは何か?
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金属バットと小木の違い
タカ 金属バットは去年の『M-1グランプリ』敗者復活戦のネタ、すごく良かった覚えがあります。どこがギリギリのラインなのか考えた上でつくっている。
ユージ そう、そのギリギリさをどう使いこなせるかが課題だと自分たちでわかっているし、そこを芸風として引き受けようとしているじゃないですか。
タカ それに、差別的だと批判されたことで、拗ねてより危ないネタをするんじゃなくてしっかり考える方向にいっているのが見て取れる。ギリギリのことをしたかったらちゃんと考えなきゃいけない、と。小木の場合は、もっと単純で浅い階層にいるんですよね。何か信念があって言っているわけじゃなくて、ただの迂闊さの発露で。
ユージ 迂闊であるゆえに、自然にインストールされているものであることが露呈してしまう。
タカ そこが金属バットとは違う。
ユージ やろうと思って刺してる人は、傷つける可能性に自覚的だから。自覚がないと「そんなつもりじゃなかった」になる。小木の逆張り芸への違和感はそこなんですよ。小木が『あちこちオードリー』のパイロット特番(2019年8月3日放送/テレビ東京)に出演したとき、『バイキング』で取り上げるニュースについて、「基本的にはどうでもいいと思っている」という話をしていて、邪悪だなと思ったんです。
タカ 何も考えないで、その場の緊張感を高めればそれが結果になるテレビの悪さを背負った罪深さですよね。考えてないけど適当にその場が盛り上がればいい、って考えでやっていると、その適当な発言で炎上してしまうことになって、自分の首を絞めかねない。
ユージ どうでもいいと思っていることに対して「役割だから」と刃を向けるって、自分でその責任を引き受ける気がないわけで。
タカ そして別の場では、そういうのはわざとやってるってネタばらしして……これまではそれでも許されてきたからなんでしょうね。でももう無理なところまできている。
ポリコレではなくテレビを観ている人の変化にうとい
ユージ もちろん、番組で立ち位置として求められるからやっているところもあると思うんですよ。本人も、以前に『ゴッドタン』でアンガールズ田中に指摘されて「本心のときもあるけど、逆張り言わなきゃいけない振られ方するときもある」と発言していました。
タカ たしかに、テレビ・ラジオ対小木でいうなら被害者の部分はあるんですよね。テレビに合わせすぎたって守ってくれない。だから小木がついていけてないのは、ジェンダー観でもポリコレでもなく、テレビを観ている人の変化なんですよ。
ユージ 今回の炎上でも「小木はいつも逆張りだからなぁ(笑)」というリスナーやファンの反応はありました。
タカ もうそれを面白いと思えなくなってることに気づかないと、喜んでるファンもダサいですよ。とはいえ、その方向を求めてる人もまだまだいるんですよね。『水曜日のダウンタウン』の「ネタ番組でつけられたキャッチフレーズ、どんなにしんどいモノでも渋々受け入れちゃう説」(2月17日放送/TBS系)でフェミいじりがあったじゃないですか。
ユージ ドッキリで3時のヒロインに「男社会に喝! 女性差別絶対反対! 超濃厚フェミニズムトリオ」というキャッチコピーをつけていたやつですね。もうひとつも「ズバッと鋭く論破論破論破!男社会にタックルだ!令和のトリプル田嶋陽子!」というひどいものでした。
タカ あれは本当に巧妙なんですよ。フェミニストが反論すればするだけ、反ポリコレ・アンチフェミ勢が喜びそうなところを突いてきてる。「別に悪いこと言ってないですよね」「この笑いがわからないなんてダサい」ってセンスを言い訳にできるから。
ユージ 『水曜日のダウンタウン』は初期から“悪意”の忍ばせ方で人気を得ています。だからまともに反論すると「笑いがわからない人」扱いになってしまうんですよね。
タカ でも実際には、フェミをいじってる時点でセンスの話じゃないんですよ。あれも「お~、こわ」身振りのひとつでしょう。今はテレビで反ポリコレ的なことを言うと責められるけど、責める声のほうが大きく響きやすくて、結果として差別的な発言をした側が被害者ぶることができてしまう。小木にはせめて今回の件で反ポリコレ側に傾いてしまわないでほしいですね。ダサいから。
ユージ Clubhouseでは「責められてる!」一辺倒の感じでもなかったので、ちゃんと変わっていったら良いなと思っています。
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