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日刊サイゾー トップ > 社会  > 「ヘゲモニックな男性性」とは?

「ヘゲモニックな男性性」とは? 呪縛にとりつかれた「男らしさ」イメージの変遷

──男というのは、いつの時代も変わらない。しかし、近年は「オトコのあり方」というものが、社会の変容によって崩壊しつつあり、男たちもそれに順応しようとしてきているが、そもそも「男らしさ」とは一体何なのだろうか? 前後編で解説していきたい。(サイゾー21年1月号「男性学」特集より一部転載)

「ヘゲモニックな男性性」とは? 呪縛にとりつかれた「男らしさ」イメージの変遷(前編)の画像1
「強さ」こそが、男が男であるべき時代は終わった。「強い」だけでは、今の時代は生きていけないので、マッチョはバカにされる。(写真/Marco Di Lauro/Getty Images)

 男性の生きづらさや、これからの男らしさのあり方に関する特集が増え、世界的に見ても雑誌やウェブメディアなど、各種メディアで「男性学」や「男性論」が注目されている。

「90年代後半とは、男性学のイメージも大きく変わりました」

 そう語るのは、男性学が専門で大正大学心理社会学部准教授の田中俊之氏。

「僕が研究を始めた当時、男性学やメンズリブというものは、社会になじめない弱々しい男たちが集っているみたいなイメージが強かった。でも、昨年は太田啓子さんの『これからの男の子たちへ』(大月書店)のような、『男性問題』を正面から扱った本が話題になり、清田隆之さんの『さよなら、俺たち』(スタンド・ブックス)のような、男性が自分の男性性について自省する本も広く読まれる状況に、時代の変化を感じています」

 サイゾー21年1月号では「男性学のススメ」と題し、宗教やサブカルチャーなどさまざまな視点で「オトコ」を取り上げていく。そして、本稿ではそもそも人々の抱く「男らしさ」とはどのように形成されていくものなのかということに焦点を当て、「男らしさ」が形成されるメカニズムと変遷の歴史を、田中氏に聞いていきたい。

“ヘゲモニック(覇権的)な男性性”という概念

 2016年に日本で刊行されたフランスの歴史学者、アラン・コルバンによる『男らしさの歴史』(藤原書店)では、男らしさのイメージとして、高貴、身体が頑丈、生殖能力が高い、冷静、たくましい、慎み深い、勇敢、野心的、完璧さ、決断力がある、忍耐力がある、力強いといった要素が挙げられている。

 男らしさの定義には、腕力や知力といった表層的な違いはあるが、「他人より秀でているということが求められる」という精神的な部分において、世界的にも歴史的にも多くの共通点や類似性が見られるという。

「アメリカの文化人類学者、デイヴィッド・ギルモアは1994年に『「男らしさ」の人類学』(春秋社)で、欧米と日本の男らしさの類似性について述べています。同書で男というのは、勇敢で力強く、経済的に優れ、禁欲的で働き者であることが期待され、欧米でも日本でも男は他人に奉仕して社会を防衛・維持すること、あるいは女性や子どもをリードしていくことを期待されていると指摘しています。付け加えると、少年が困難に打ち勝ち、男らしさを獲得して初めて、男の子が男になるというのがギルモアの認識です。これは都市生活をしている人々だけでなく、狩猟採集社会においても、同じようなエッセンスを内包する通過儀礼や風習が多々見られると主張しています」

 ギルモアはそうした風習の事例として、アメリカン・インディアンのテワ族の試練を紹介している。同書を引用しよう。

「彼らは男の子には大人になる前に、残酷ないじめを伴う試練を強制する。十二歳から十五歳の間に、テワ族の少年たちは、家を離れて、儀礼で身を清めて、それからカチナの霊(変装した父親)から容赦なくむちで打たれる。少年はそれぞれ裸にされて、背中をユッカ蘭のごわごわした蔓のむちで四回たたかれる。すると傷口から血が流れて傷跡が永久に残ってしまう。思春期の若者たちは、自分の忍耐力を示すために殴打に冷静に耐えねばならない。テワ族の人たちは、この儀礼を経て少年は男になるのだという。そうしないと、男にはなかなかなれないと考えている。少年たちの厳しい試練のあとで、カチナの聖霊たちはいう、『今、君は男となった……君は男に作られたのだ』」

 こうした理想の男性像は男性優位の社会構造の形成と、密接な関係にあることも事実だ。田中氏はオーストラリアの社会学者、ロバート・コンネル(のちに性転換手術をし、現在は女性名のレイウィン・コンネルを名乗る)が唱えた、“ヘゲモニック(覇権的)な男性性”という概念について、次のように解説する。

「コンネルが唱えるヘゲモニックな男性性とは、社会における理想的な男性像のことを指し、ここには2つの大事な要素があります。ひとつは『あるタイプの男性像が理想化されることで、女性が下で男性が上という男女の関係が規定される』こと。もうひとつは、特にコンネルの理論の画期的な点ですが、『男らしさの中にも階層性がある』と示したことです。テワ族の例で言えば、『むちでたたかれて泣く奴は男らしくない。むちでたたかれても泣かない男こそ真の男だ』というように、『男らしくない否定的な男性像』とのセットで『理想的な男性像』が作られるということです」

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