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『チコちゃんに叱られる!』ネットの噂を全否定! 柔道の黒帯は「洗わないで使っていたら黒ずんだ」じゃない?

「帯を洗わないで使っていたら黒ずんだ」説を全否定!

 この日最後のテーマは「なんで柔道が強い人は黒帯なの?」という疑問。チコちゃんが発表した答えは「白の真逆だから」だった。ちなみに、番組スタッフが柔道の有段者に話を聞きに行った際、VTRで流れたBGMはビートルズの『Hey Jude(ヘイ・ジュード)』である。なるほど、柔道(ジュードー)だけに。『タモリ倶楽部』(テレビ朝日系)じゃないんだから。

 詳しく教えてくれるのは柔道の総本山・講道館で柔道の歴史に関する書物を扱う講道館図書資料部・津村弘三先生だ。曰く、柔道の創始者である嘉納治五郎が白い道着に映える色、コントラストが真逆で目立つ色ということで黒を選んだという説が有力らしい。ただ、ネット上では「白い帯を使い込むと黒ずんでくるから黒が強さの象徴だった」が通説のように出回っているが……。何しろ、この情報はWikipediaにも載っていたほどだ。

「確かにネット上でそういう説が出回っているんですけれども、嘉納師範は『柔道着は手入れはしっかりしなさい、清潔に保ちなさい』ということを厳しく指導されていました。汚れて黒くなったということをイメージしたとは考えにくいですね」(津村先生)

 取材で真実に辿り着き、ネットで広く流布されていた説をあっさり否定してみせた! 確かに、「洗わないでいたら黒ずんだ」という説が美徳に捉えられていたなんて、改めて考えたらあり得ない。そんなの汚いだけだ。実は『チコちゃん』放送後、Wikipediaの記述も人知れず修正されていた。

 黒帯の理由を知るには柔道着の成り立ちを知る必要がある。稽古着が白色に、有段者の帯が黒色になったのには、講道館柔道に関しての嘉納治五郎の教育の考えが反映されているのだ。柔道のルーツは古流柔術で、江戸時代には100以上の流派があった。その中の天神真楊流、起倒流を学んでいた嘉納はこの2つの流派を基に他の流派を研究して独自の理論を確立。1882年に講道館を設立し、柔道が誕生した。このとき、嘉納が柔道に取り入れたのは独自の段位制度だ。修行の成果に応じて初段から十段、さらにその先に限りなく進むというものである。身近なところに次の目標を設定して修行を継続させ、モチベーションを高めるのが目的だ。

 柔道のルーツの古流柔術にも「目録」「免許」「皆伝」といった大まかな段階があり、嘉納が修行した天神真楊流では階級を稽古着の色で区別していた。初心者はあさぎ色の稽古着に白の十字刺し。「目録」に昇格すると、白地に襟があさぎ色の稽古着に紺の十字刺しになる。「免許」になると襟も白で紺の十字刺しだ。こう振り返ると、オリンピックで青道着を着用するのって決して無理筋じゃないんだな……。ただ、当時の技術では稽古着の色を変えると相当なお金がかかるし、それ以上に手間がかかってしまう。

「嘉納師範は『誰でも柔道というのは気軽に始められなければいけない』と考えられていましたので、稽古着は一番シンプルな白に定められたのだと思います」(津村先生)

 こうして、柔道着の色は最もシンプルかつ清潔感もある白が採用された。しかし、こうなると柔道着の色で段位が表せなくなる。稽古着の色を変える以外の簡単な方法を思案した嘉納は、「帯の色を変えよう」という考えに行き着いた。白い稽古着とコントラストが鮮明になる色と言うと、やはり黒だ。というわけで、黒帯が誕生したということ。最も古いスポーツ雑誌の1つ『月刊 柔道』にもこの件が載っている。1939年発行の記事を読むと「それ以前、他流の道場では、黒帯ということはなかった。黒帯は講道館の発明でありましょう」と記されているのだ。

 実は、黒帯の上にも階級があるらしい。初段~五段までが黒帯、六~八段が紅白帯、九~十段が紅帯である。紅帯なんてメチャメチャおめでたい色だな……。この帯を付けられる者はごく少数で、モントリオールオリンピックの金メダリストで現在の講道館の館長・上村春樹九段など錚々たる面々。講道館は創設からおよそ140年の歴史があり、紅帯を取得したのはわずか250人、さらに最高峰の十段を獲得したのは15人しかいないという。

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