ドラッグで宗教的体験は得られるか──参加できるのは選ばれた者だけ? サイケデリックスの神秘性を問う
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ドラッグ修行はヘリコプター登頂?
前出の蛭川氏は実際に南米のアマゾンに赴き、現地のシャーマンたちが開いているアヤワスカのお茶を飲む儀礼――蛭川氏いわく「お茶会」に何度も参加した経験の持ち主だ。そのときの体験を綴った蛭川氏の著書『精神の星座』(サンガ)によると、最初に体験したときは、「このまま死ぬのではないか」という恐怖を感じたものの、次第に亡くなった祖母や、天使のような存在と会話をするような体験を得たという。蛭川氏が言う。
「私にとって『お茶会』への参加は、一回一回が自分の人生をリセットされるような体験でした。そのために、わざわざアマゾンのジャングルまで飛んでいったわけです。既成の宗教、仏教やキリスト教なども現在では世俗的な組織になってしまいがちで、本当の宗教性がそれほど重要視されなくなっている一方、インターネットの普及でいろいろな薬草や薬物が簡単に手に入るようになってきました。事件の発端となった大学生も、大学には行かず、ネット上の情報を集めて、臨死体験をすると悟りのような境地が得られ、死生観を変えられると知り、DMTを含むお茶なら合法的で確実に神秘体験を引き起こせると自分で考えたようです。自宅に引きこもり情報も薬もすべてインターネットで仕入れてしまうなど、現代の情報社会が既存の宗教や医療を追い越してしまっているという現状があります」
仏教にしてもキリスト教にしても、宗教的な境地に達するまでには、何年、あるいは何十年といった、深い信仰や修行が必要とされるのが通常だ。もしある種のドラッグによって、そのような特殊な宗教体験を一気に味わえるとすれば、そこに魅力を感じる人が相当数いるだろうことは、想像に難くない。
『サイケデリックスと文化』に収録されている蛭川氏の論文「シャーマニズムと向精神性植物使用の通文化比較」によると、宗教的職能者による向精神性の薬草または酒の使用は、世界からサンプルとして選ばれた47の社会のうち、27社会で認められた。特に南北アメリカの先住民社会では、15社会のうち80%にあたる12社会で向精神性の薬草が儀礼的に用いられていたという。
また、同論文によると、アメリカ西海岸では1960年代にLSDの合成などが引き金になり、麻、LSD、ペヨーテとメスカリン、シビレタケとシロシビンといったドラッグを使用したひとつのカウンターカルチャーが形成された。これはアメリカ大陸の先住民社会が伝統的に持っていた脱魂型シャーマニズム(変性意識状態に入るが憑霊しないタイプのシャーマニズム)をモデルに発展したものだと、蛭川氏は書いている。同氏が続ける。
「アカシア茶やアヤワスカ茶に含まれるDMTは、化学的にはセロトニン系の物質で、強力な抗うつ薬のような作用も持っています。感覚的には、自分の過去が解体されて再構成されるような経験を味わうこともあります。実際、今回の裁判でアカシア茶を飲んだ学生は、『世界の真理がわかった』と騒いでいることに驚いた友人が救急車を呼んだことで摂取が明るみに出たのですが『どうせ明日、自殺するのだから最後に試してみよう』と思ってアカシア茶を飲んだところ、死にたいという気持ちがまったく消えてしまった。そして、このお茶を飲んで救われる人も多いのでは、と証言しているそうです。すでにブラジルなどでは臨床研究も進んでいますし、DMTには明らかな医療的効果もあるのですから、一律にドラッグとして違法とするのではなく、医療目的での使用が可能かどうか、日本でも、もっときちんと研究されるべきだと私は考えています」
前出の正木氏も、サイケデリックの特殊な効果について詳しく研究しているが、その使用については、次のように注意するべきポイントも指摘している。
「(ユング心理学の研究家で京都大学名誉教授の故)河合隼雄先生はよくこうおっしゃっていました。高い山に麓から一歩一歩登っていくのが通常の修行だとすると、ドラッグを使って宗教体験を得るのは、いきなりヘリコプターで頂上へ行こうとするようなものだと。脳の中で起こっていることは類似しているかもしれないけど、正しいプロセスがあるかないかは、体験の意味合いとしては決定的に違うということでした。
例えば、空中に正体不明の光が浮遊しているのを見た場合、中世のキリスト教徒なら天使が来ていると考える。日本の浄土教徒なら阿弥陀様の来迎だと考える。現代人ならUFOというわけです。時代や社会状況によって同じ現象に対しても解釈は変わってくるものです」
正木氏はこう語り、宗教体験とドラッグによるトリップの違いについて、次のようにまとめる。「つまりその体験をどう解釈するかの問題です。同じ体験をしても、その真の意味を受け取れるか受け取れないかは、その人のそれまでの宗教的な修行や素養の度合いにかかっています。宗教的な思想や教義を理解せずにサイケデリックをただ摂取しても、変な幻覚体験をしただけで終わってしまう。それを正しく意味づけることも、宗教の持っている大きな役割のひとつなのでしょうね。それを抜きにして単に刺激的な体験だけを追い求めてドラッグを摂取するのは、非常に危険であるということは、広く知られるべき事柄であると私は考えています」
一方、10月に京都地裁で行われた第四回公判で、青井被告は「無制限な使用には問題があるという前提に立ちつつも、能力のある少数の人たちだけが、厳しい修行ができるという宗教的な体系には敬意を表したいが、いま現在、うつ病などで悩み苦しんでいる人たちは救われない。だから自分はお茶会を催してアカシア茶を振る舞ってきたのだ」と主張した。また、今回の事件が医療用DMTの研究につながるのなら、ぜひ連携していきたいとも語っている。
人間の精神について理解するためにも、科学的にも宗教学的にも、宗教体験とドラッグというテーマはもっと研究されるべきだが、日本ではほかの先進諸国と比べると大幅に研究が遅れているようだ。さて……。
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