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グローバル市場でヒットする非ボリウッド映画、ココイチの本場進出……世界を「環流」するインド文化の現在

全インド市場を狙うローカル映画の逆襲

――日本でも随分とインド映画が親しまれるようになり、いろいろなタイプの作品が入ってきています。また、日本に入ってこないようなタイプのインド産映画もあるということが、『世界を環流する〈インド〉』に収録された杉本良男さん(国立民族学博物館名誉教授)の論文「パチもんの逆襲 インド映画の二十一世紀」を読んでわかりました。在外インド人(NRI)市場を見込んだ作品、NRI以外も含めたいわゆるグローバル市場を見込んだ作品、インド全土の観客を見込んだローカル作品、地域ごとの特色の強いさらにローカルな作品の4種類があるという理解でいいでしょうか?

松川 さらに言うと、NRI市場を見込んだ映画は、21世紀に入って以降は大衆向けのボリウッド系と、国内のミドルクラス(中間層)も視野に入れたインディペンデント系に分けられると考えます。日本でも公開された『マダム・イン・ニューヨーク』はその中間にあり、『めぐり逢わせのお弁当』は後者で、かつNRI以外の世界市場にも向けて、映画祭に出品した後で配給されるような作品ですね。こういった作品が台頭してきた背景には、シネコンが都市部に増えたこと、ミドルクラスが観に行くニッチな映画が予算が少なくても作れるようになったことなどがあります。

 また、大衆向けのボリウッドの中でも、国内向けというより初めから海外志向の映画もありますね。ボリウッドの人気俳優も出ているけれども、ニューヨークを舞台にした『たとえ明日が来なくても』(03年、原題『Kal Ho Naa Ho』)のような作品です。こういうものは、インドの農村部の人たちにはあまり共感されません。

――なるほど。Netflixなどでは洗練されたタイプのインド映画がたくさん配信されていますが、それはインド全土で大衆的な支持を得ているわけではないと。

松川 インド映画はしばしば「ボリウッド」でひとくくりにされますけれども、例えば大衆受けする『バーフバリ』のような大作は南インド発――あれはインドの公用語であるヒンディー語ではなく、テルグ語という地方語で作られています――で、かつ全インド市場を狙っている作品です。

 近年の現象として、杉本先生が書いておられるように「地方の逆襲」と呼ぶべき地方言語の作品が全インド向けに作られ、あるいはNRIにも波及していくことが起こっています。私が研究しているゴア州は人口約140万人でインドの中では小さく、しかもキリスト教徒が多いのですが、そういう土地でも14年以降に現地語で映画がたくさん作られるようになっています。ボリウッドのヒンディー語映画はムンバイ、地方語の中でも絶大な影響力をもつタミル語映画は南インドのチェンナイが製作の中心地となってきましたが、それ以外のところでも多くの映画が作られるようになっています。

 日本のメディアではインドというと暴力、レイプの話が大きく報道されたり、カーストや差別の話が多いですから、興味を持ってもらえるきっかけとして映画やヨーガ、インドカリーが広がるのはいいことだなと私個人は研究者として思っています。ただ、できれば「あの映画、面白かった」で止まるのではなく、どういった経緯でそれらが日本に入ってきたのか、どういう歴史がインドにあるのかまで興味を持ってくれれば嬉しいですね。

 私は大学でインドのメディアから歴史と現状を見るという授業を行っているんですけれども、映画の話をきっかけにインド国内で多言語が使われていることからくる問題が語れたり、植民地時代にボンベイ(ムンバイ)が映画の中心地になった流れなども見えたりします。インドの俳優は政治家として持ち上げられ、その人気がナショナルなものとして利用されることもあって、注意すべき部分もあるんです。

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