ドラッグを取り締まるための法律──「薬物四法」の中身と成立秘話
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発端は密造者の取り締まり──覚醒剤=廃人は80年代から
一方、覚せい剤取締法の歴史について、『覚醒剤の社会史―ドラッグ・ディスコース・統治技術―』(東信堂)や『ドラッグの社会学―向精神物質をめぐる作法と社会秩序―』(世界思想社)などの著作がある関西学院大学社会学部教授の佐藤哲彦氏は、こう語る。
「終戦直後、食糧不足のために覚醒剤は栄養剤のような感覚で広く使われていたので、問題が議論されるときも覚醒剤自体の問題というよりは、芸人や作家、学生など一部の使用者の問題として論じられることがほとんどで、今の認識とはまったく違いました。例えば、日本医師会の記者会見で『ヒロポンを使っている人はいますか?』と聞いたら、全員が手を挙げたという話もありますし、芸能界でも歌舞伎などの伝統芸能ではなく漫才など新興の芸人、作家でも無頼派の使用が特に問題視されたのに、医学論文では多忙な会社員の使用者は依存しているわけではないとも書かれました。そこには、特定の道徳観に基づいたある種の差別構造があったのです」
40年代の終わりには劇薬に指定され、さらに行政指導によって生産割当が行われた覚醒剤だが、もともとは普通に市販されていた医薬品。そもそも、51年に覚せい剤取締法で所持が禁止されたのも、製薬会社による割当以上の製造や密売が問題化したためで、使用者を取り締まるためではないという。
「偽薬などを取り締まる薬事法では、密売者は捕まえられませんので、密造・密売される覚醒剤を取り締まる手段として覚せい剤取締法はできました。当時の国会審議でも政府は所持禁止を『密売者を取り締まるためのもの』と説明しています。そして、覚せい剤取締法の施行によって密造・密売が盛んに取り締まられ、やがて密造拠点として当時で言う朝鮮人部落が注目され始めました」(同)
東西冷戦下で朝鮮戦争なども勃発した当時、日本でも共産主義の脅威が当たり前のように論じられる政治的状況を背景にして、密造された覚醒剤が共産主義による侵略物資ではないかと国会などでもまことしやかに論じられた。そして、小学生女児を強姦して殺害した「鏡子ちゃん事件」の犯人が覚醒剤経験者であったことも契機となり、54年には覚醒剤撲滅キャンペーンが大々的に展開される。
「GHQからの圧力で内閣が日本共産党員とシンパを1万人くらい公職から追放する『レッドパージ』もあり、反共の文脈で覚醒剤の密造・密売が語られるようになります。この頃、国会でも朝鮮人部落の覚醒剤と共産主義のつながりについては議論されていますね。実際は当時、ロクな産業もなかった経済状況で、差別されていた人たちが生活に困って密造に手を出しただけなので、結局その証拠は出てきませんでした」(同)
つまり、覚醒剤をはじめとした麻薬の取り締まりの歴史というのは、非常に政治的な経緯があったのだ。そして、その政治的な色が薄まるのは、暴力団の資金源として注目された60年代後半以降で、使ったら廃人になるというイメージが流布された、「覚醒剤やめますか、人間やめますか」の80年代以降にそれは完全に忘却された。
「81年の『深川通り魔事件』や82年の『西成区覚醒剤中毒者7人殺傷事件』が、大きなきっかけといえるでしょう。覚醒剤が関係するとされた事件が立て続けに起きて問題になると、警察関係者や医師が論文などで『50年代には中毒患者がたくさんいて……』といった話を懐古的に展開するんですね。しかし、これは実際のデータに基づいた話ではなく間違いです。覚せい剤取締法の違反者は54年の5万5000人がピークですが、これは密造や密売に対する取り締まりによるものが中心で、使用者を中心に逮捕したわけではないのですから」(同)
このように、さまざまな政治的思惑などによって制定されてきた薬物に関する法律。現在、海外では大麻の合法化の動きなども見られるが、日本の薬物を取り巻く規制や環境に変化は訪れるのだろうか。
(文/伊藤 綾)
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