さんま「単なるテレビ番組やないかい」 M-1とネタとガチの境界線
#明石家さんま #テレビ日記 #マヂカルラブリー #さんまのお笑い向上委員会
‘明石家さんま「テレビやないかい、単なる。テレビ番組やないかい」’
ところで、冒頭の『お笑い向上委員会』のさんまとマヂカルラブリーのやりとりは次のように続く。
マヂラブには優勝しないでほしかったと言うさんまに対し、「優勝するつもりないやつ決勝まで行かないですね」と応じた野田。それを聞いたさんまは「そういう状態なの? あそこ」と驚いた。さらに、ひな壇にいたM-1準優勝のおいでやす小田に「ホンマにM-1見ました?」と尋ねられたさんまはこう返した。
「見たよ。テレビやないかい、単なる。テレビ番組やないかい」
テレビで芸人が見せるのはエンターテインメントであり、虚構性の高いものであり、本当の戦いはテレビで見せるものではない。そんなさんまの“美学”のようなものが、この言葉には反映されているのかもしれない。「『あんだけ笑いとったのに2位かー』っていったらカッコええねん」という発言も、その一環だろう。
M-1に対し「優勝するつもり」でガチで挑んだというマヂカルラブリー。対して、M-1といえども「テレビ番組やないかい」とひとつのネタとして捉えるさんま。なんだか一見、対立しているように見える。
が、果たしてそうか。
M-1に限らず、勝負ごとには実力に加えて時の運という面もある。マヂカルラブリーを優勝に導いた”追い風”は、M-1が「テレビ番組」だったからこそ吹いたという面もあったはずだ。2017年のM-1決勝での、漫才の外での上沼恵美子との対立。それを繰り返しテレビ出演時にネタにしてきた野田クリスタル。そして迎えた2020年決勝での、上沼との”因縁”を印象づける本番の演出。
そんな「テレビ番組」の中で作られてきた物語が、彼らの面白さを後押ししたはずだ。そして、当人たちも土下座で登場するなど、その物語を最大限活かした。ラストイヤーでの優勝、過去の大会での雪辱からの勝利、敗者復活からの逆転劇――。これまでのチャンピオンにも多かれ少なかれ、そのような「テレビ番組」だからこその“追い風”が吹いていたはずだ。
そう考えると、さんまの「テレビ番組やないかい」の意味も違って聞こえてくるだろう。その言葉は、M-1のひとつの側面を確かに言い当てている。そしてそれはM-1をネタとして茶化した言葉に聞こえるようで、さんまにとってはガチな言葉だったのかもしれない。
いや、そもそもさんまのテレビのエンタメ性、虚構性を強調する発言自体も、幾分は虚構の側面、エンタメのためにあえて仮構した対立の側面があるのかもしれない。番組を盛り上げるためにあえて若手たちとは違ったスタンスをとったのかもしれない。
ガチに見えるものがネタだったり。ネタに見えるものがガチだったり。やっぱりテレビの中のガチとネタの峻別は難しい。だからこそ面白い。
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