トップページへ
日刊サイゾー|エンタメ・お笑い・ドラマ・社会の最新ニュース
  • facebook
  • x
  • feed
日刊サイゾー トップ > カルチャー > 映画  > 『ヤクザと家族』で感じた「舞台裏の輝き」

映画『ヤクザと家族 The Family』監修者が感じた「舞台裏の輝き」「役割を追求する力」

映画『ヤクザと家族 The Family』フライヤー
映画『ヤクザと家族 The Family』フライヤーより

 私、沖田臥竜が監修と所作指導を務めた映画ヤクザと家族 The Family(監督・藤井道人)が本日1月29日から公開される。すでに各所で話題になっているが、現代の生きるヤクザとそれを取り巻く人間や社会のリアルと追求した快作である。

 この映画と私との関わりは、Twitterから始まった。

 今はTwitterの更新を止めたのでアプリ自体を開くこともないが、まだ頻繁にTwitterの投稿をやっていた一昨年の秋頃、1通のDMが届いた。このDMがのちに、さまざまな出会いを生み、私が新しい分野に踏み出す一歩となったのだ。

 その頃私は、吉本芸人の闇営業問題を皮切りに、ジャニー喜多川さんの緊急搬送や当時世間を騒がせた煽り運転事件の容疑者などについての情報をTwitterに連投し、なかばアカウントが炎上しているような状態だった。そのため、毎日のように、マスコミ関係者をはじめ、さまざまな人からDMが届いていた。テレビの情報番組や大手新聞社からのDMもあれば、「ファンです!」といったものやアンチといわれる類いのものから、果ては人生の相談まで、ありとあらゆる内容が寄せられてくるようになっていた。

 それらDMに対しての私の基本的なスタンスは、仕事に繋がらなさそうと判断すれば、返事を返さないどころかまず読まないというものになっていた。それ以前は、自分でも健気なくらい届いたDMには片っ端から目を通し、返信したりもしていたのだが、こちらの誠意に対して、実りある対応をしてもらえることのほうが少ないため、徒労感が蓄積し、いつしか読むことすら億劫になっていたのだ。

 その頃からだろうか、SNSというツールに違和感を感じるようになっていたのは。確かに、手紙や電話で人との繋がりを広げていったり、維持していたりしていた時代から考えると、SNSの爆発的な普及は、コミュニケーションの進歩や多様性を生んだ一面もあったであろう。だが一方で、SNSそのものに依存し過ぎる人が増え、送り手の浅はかな思いで綴られた文字によって深く傷ついてしまったり、実社会と混同し、自身の世界を狭めてしまったりという負の要素も生じてしまっている。

 そんな中で、わたし自身もビジネスの端緒や本来の人と人の繋がりをSNSから取り戻せる手段はないかと模索し始めていたのであった。いや、もっと簡単にいえば、SNSに飽きてきていたのだ。いい歳した大人たちが、リツイート数、いいね数、フォロワー数などを競い合う、まったく生産性のない姿に嫌悪感すら覚えてしまったのである。

 そんな最中に届いたのが、1通のDMだった。

 そこには会社名と連絡先、それと担当者の名前が記されてあり、「これから制作する映画についての相談をさせてもらえませんか」といった趣旨が記されてあった。

 それを見た際、一瞬の躊躇があった。SNSでは、このような連絡において、内容そのものが悪戯ということも十分にあり得る。そこで、DMに記されていた会社名を検索して、DMに書かれていた携帯電話ではなく、該当した会社の固定電話の番号を鳴らしたのであった。

 それがのちに、今作『ヤクザと家族』で助監督を務めるフク(もちろん愛称である)と、その後に繋がる藤井道人監督との出会いとなるのだった。

12
ページ上部へ戻る

配給映画