織田信長の妻・帰蝶はなぜ“気の強い女性”として描かれるのか? キャラを決定づけた “壺事件”と謎めいた半生
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信長と帰蝶の関係性を示唆する「壺事件」とは?
斎藤道三は、息子の斎藤義龍(『麒麟~』 では伊藤英明さんが演じていた武将)に暗殺されるのですが、その義龍は35歳の若さで病死します。すると信長は、 義龍の未亡人に「義龍が持っていたはずの壺がどうしても欲しいから献上せよ」と迫ったそうなのですね。
「壺は(戦の混乱に紛れて)消えた」と言う故・義龍の未亡人でしたが、それでもしつこく「本当はあるのだろう」とばかりに迫ってくる信長に、義龍未亡人が怒ります。しかし「それ以上、壺を出せと私を責めるのなら自害します!」とまで言われた信長は逆ギレし、「お前だけでなく、帰蝶やその兄弟姉妹全員、16人すべて割腹して死ね!」などと言い出しました。歴史マニアの間で「壺事件」などと密かに呼ばれる一件です。
“証言者”は信長らと同時代の公卿である山科言継(やましな・ときつぐ)で、彼の日記『言継卿記』の永禄12年(1569年)7月27日に出てくる一節です。この騒動時に帰蝶は他の斉藤家の元・家臣たちと結託、“暴君”信長に猛抗議し、さすがの信長も自分が間違っていたと認めざるをえなくなりました。
8月1日、信長は帰蝶の生母・小見の方(おみのかた)の屋敷まで「お礼をしに行った」という記述が『言継卿記』に出てきます。詳しくは不明ですが、小見の方が怒る帰蝶たちとの間を仲介してくれたのかもしれません。この時、信長は(交流のあった)山科言継を小見の方の屋敷の門前まで同道させたそうです。
姑である小見の方の屋敷では「私が壺ほしさの一心で、ムチャなことを言いだし、家中を乱してスイマセンでした」などと謝罪もしたのでしょうが、やはり信長の気は重かったのでしょう。
ここから推測するに、帰蝶は本当に気が強い女性であり、信長が相手でも自分が正しいと信じたことはまったく譲らない人柄の持ち主だったのでしょう。しかし、信頼できる二人の夫婦仲をあらわした史料はこれだけです。
それゆえ、信長が気の強い帰蝶に疲れて距離を置くようになり、離縁もしくは別居がはじまって、そのまま終わってしまったという推論もできるのですね。
その一方、わざわざ姑のところに謝りにいっていることから、信長は帰蝶をそれほど愛し、気にかけていた。つまり、二人は派手にケンカするほど仲がよかったから、史料に名前が出てこなくても、信長の正室として帰蝶は彼の死まで良い夫婦でいられたのだろうという推論も存在するわけです。
『麒麟~』では、これらの説や逸話を総合し、世間の害悪になりさがりつつある信長に見切りを付け別居もしたし、今度はいくら仮定の話にせよ、「今のような体たらくの信長には毒を盛る」などと言い出す帰蝶のキャラを作り上げた様子です。そんな彼女が、明智や信長に対し、今後、どう出てくるのか……最終回まで帰蝶からはやはり目が離せそうにはありませんね。
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